邦子内親王とは? わかりやすく解説

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邦子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 05:23 UTC 版)

邦子内親王(くにこないしんのう、承元3年(1209年) - 弘安6年9月4日1283年9月26日))は、鎌倉時代の皇族、女院後堀河天皇准母皇后宮。院号安嘉門院(あんかもんいん)[1]。法名は正如覚。父は守貞親王(後高倉院)、母は持明院基家の女・御息所陳子(北白河院)。同母弟に後堀河天皇、同母姉に利子内親王(式乾門院)がいる。


  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 68頁。


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