順位戦の歴史
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1935年(昭和10年) - 東京日日新聞(現在の毎日新聞社)の主催で、第1期名人戦の特別リーグ戦が開始される。 1946年(昭和21年) - 第1期が開始される。八段の棋士をA級、七段・六段をB級、五段・四段をC級とする3クラス制であった。持ち時間は各7時間。 1947年(昭和22年) - 第2期から、成績上位4名(第2期のみ持ち点制度による上位4名、第3期以降はA級上位3名とB級1位)の計4名によるパラマストーナメントで挑戦者決定戦を行った。第2期の全対局と第3期以降の決勝戦は三番勝負。挑戦者決定戦は第4期まで行われた。このルールのため第2期では大山康晴が順位戦史上唯一のB級からの挑戦者となっている。 1948年(昭和23年) - 第3期からC級を1組と2組に分割し、A級を10名、B級とC級1組を20名とする定員制をもうける。 1949年(昭和24年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社から朝日新聞社に移る。 1950年(昭和25年) - 第5期より挑戦者決定戦が廃止され、A級優勝者を挑戦者とする。 1951年(昭和26年) - 第7期からB級を1組と2組に分割する。B級1組以下の定員を13名とする。 1962年(昭和37年) - B級2組以下で降級点制を導入する。B級2組、C級1組は降級点2回、C級2組は3回で降級。 1963年(昭和38年) - B級2組以下の対局数を最大12局とする。A級、B級1組は総当たり。 1967年(昭和42年) - 持ち時間を各6時間に短縮。 1971年(昭和46年) - 順位戦の制度改革の議論が長引き、B級1組以下は11月から開始。この年のB級1組以下は1人8局の対局となり、翌年からB級1組は総当たり、B級2組以下は10局の対局となる。 1976年(昭和51年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社に戻る。「順位戦」の名称がなくなり、A級を「名人戦挑戦者決定リーグ」、B級1組以下を「昇降級リーグ(1組 - 4組)」と改称する。期数も名人戦に合わせられ、前期の順位戦が第30期であったが、この期は第36期となった(従って、第31期 - 35期の順位戦は存在しない)。このとき、挑戦者決定リーグ(順位戦)の開始が遅れ、11月となったため、翌1977年の名人戦が実施されなかった。 1981年(昭和56年)- 昇降級リーグ戦4組(現・C級2組)からの降級点制を廃止。 1983年(昭和58年) - 昇降級リーグが組ごとに同日一斉対局となる。 1985年(昭和60年) - 「順位戦」の名称が復活。A級からC級2組の5クラスの名称に戻る。 1987年(昭和62年)- C級2組からの降級点制が復活。 1994年(平成6年) - 順位戦に参加しない、フリークラス制度が設けられる。C級2組から降級した棋士の他、B級1組以下からフリークラス宣言をした棋士が所属する。 1997年(平成9年)- 奨励会三段リーグに次点の制度が設けられる。三段リーグで次点を2回とった場合、フリークラスの棋士になる権利を得る。 2006年(平成18年) - 前年の瀬川晶司のフリークラス編入を受け、アマチュア選手・女流棋士のフリークラス編入制度が正式化される。 2007年(平成19年) - 名人戦・順位戦の主催が毎日新聞社・朝日新聞社の共催となる。 2008年(平成20年) - 第66期より順位戦昇級による昇段日が翌年度4月1日から昇級が決まった日になった。 2014年(平成26年) - 第72期A級最終戦一斉対局が静岡県静岡市葵区の浮月楼で将棋名人戦第0局と銘打ち指された。最終一斉対局が将棋会館以外で行われるのは、初。 2014年(平成26年) - 第73期からC級2組が50人と多数になり、東京将棋会館と関西将棋会館を合わせても25局の一斉対局が困難なため、組ごとの同日一斉対局ではなく、3月の最終戦を除き分割開催となる(第74期までは2日連続の開催で2月の対局も一斉開催だったが、第75期より日程は基本的に7日間隔で、2月も分割開催に変更)。また、B級1組以下の対局日は曜日固定だが、B級2組は木曜日から水曜日に変更された。このほか、B級1組以下は4月に決定していた全対局日程を3回に分けて決定することとなった。 2016年(平成28年) - 第75期より、B級2組以下は持ち時間がチェスクロック式(消費時間60秒未満切捨てなし)の6時間になった。また昼と夕方の食事休憩が50分から40分に短縮された。 2018年(平成30年) - 指し分け残留が発生した第27期当時も規定にはなく、A級において指し分けでも降級することが主催者間で確認された。 2018年(平成30年) - 第76期A級最終戦一斉対局が再び浮月楼にて開催される。第77期も浮月楼での開催が予定されており、今後A級最終戦一斉対局は浮月楼での開催が定着する見込みである。 2018年(平成30年) - 第77期より、B級2組以下で全勝者が昇級枠を超えた場合も昇級すること、降級点が消える場合と付く場合が同時に起こった場合、降級点を消してから追加されることが追記された。 2019年(令和元年) - 第70回棋士総会において第79期より、B級1組の降級=B級2組の昇級、C級1組の昇級が2人から3人に、B級2組の降級点が5人に1人から4人に1人に、C級1組の降級点が5人に1人から4.5人に1人に変更された。また今後5年ごとに、昇級・降級・降級点制度の見直しを実施していくこと(次回見直しは2025年度の第84期)、C級2組の降級点もフリークラス制度とともに将来的な課題として何かしらの見直しを行う方向とした。 2020年(令和2年) - 第78期A級順位戦最終局が浮月楼で開催されるが、名称から名人戦第0局が外され「将棋界の一番長い日」に変更された。 2020年(令和2年) - 第71回棋士総会において第80期より、C級2組の降級点が5人に1人から4.5人に1人に変更された。 2021年(令和3年) - 第80期は2020東京オリンピックの関係でB級1組以下は5月開始。 2022年(令和4年) - 第81期より、B級1組も持ち時間がチェスクロック式(消費時間60秒未満切捨てなし)の6時間になり、A級のみストップウォッチとなった。また、東京将棋会館、関西将棋会館に次ぐ公式対局拠点として名古屋将棋対局場を開設した。
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