順位戦の歴史とは? わかりやすく解説

順位戦の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 16:54 UTC 版)

順位戦」の記事における「順位戦の歴史」の解説

1935年昭和10年) - 東京日日新聞現在の毎日新聞社)の主催で、第1期名人戦の特別リーグ戦開始される1946年昭和21年) - 第1期開始される八段棋士をA級、七段・六段B級、五段・四段C級とする3クラス制であった持ち時間は各7時間。 1947年昭和22年) - 第2期から、成績上位4名(第2期のみ持ち点制度による上位4名、第3期以降はA級上位3名とB級1位)の計4名によるパラマストーナメントで挑戦者決定戦行った第2期の全対局第3期以降決勝戦三番勝負挑戦者決定戦第4期まで行われた。このルールのため第2期では大山康晴順位戦史上唯一のB級からの挑戦者となっている。 1948年昭和23年) - 第3期からC級1組2組分割し、A級を10名、B級C級1組20名とする定員制をもうける。 1949年昭和24年) - 名人戦・順位戦主催毎日新聞社から朝日新聞社に移る。 1950年昭和25年) - 第5期より挑戦者決定戦廃止され、A級優勝者挑戦者とする。 1951年昭和26年) - 第7期からB級1組2組分割するB級1組以下の定員13名とする。 1962年昭和37年) - B級2組以下で降級点制を導入するB級2組C級1組降級点2回、C級2組3回降級1963年昭和38年) - B級2組以下の対局数を最大12局とする。A級、B級1組総当たり1967年昭和42年) - 持ち時間を各6時間に短縮1971年昭和46年) - 順位戦制度改革議論長引きB級1組以下は11月から開始この年B級1組以下は1人8局の対局となり、翌年からB級1組総当たりB級2組以下は10局の対局となる。 1976年昭和51年) - 名人戦・順位戦主催毎日新聞社に戻る。「順位戦」の名称がなくなり、A級を「名人戦挑戦者決定リーグ」、B級1組以下を「昇降リーグ1組 - 4組)」と改称する。期数も名人戦合わせられ前期順位戦が第30であったが、この期は第36期となった(従って、第31期 - 35期順位戦存在しない)。このとき、挑戦者決定リーグ順位戦)の開始が遅れ、11月となったため、翌1977年名人戦実施されなかった。 1981年昭和56年)- 昇降リーグ戦4組(現・C級2組)からの降級点制を廃止1983年昭和58年) - 昇降リーグが組ごとに同日一斉対局となる。 1985年昭和60年) - 「順位戦」の名称が復活。A級からC級2組の5クラスの名称に戻る。 1987年昭和62年)- C級2組からの降級点制が復活1994年平成6年) - 順位戦参加しないフリークラス制度設けられるC級2組から降級した棋士の他、B級1組以下からフリークラス宣言をした棋士所属する1997年平成9年)- 奨励会三段リーグ次点制度設けられる三段リーグ次点を2回とった場合フリークラス棋士になる権利を得る。 2006年平成18年) - 前年瀬川晶司フリークラス編入を受け、アマチュア選手女流棋士フリークラス編入制度が正式化される2007年平成19年) - 名人戦・順位戦主催毎日新聞社朝日新聞社共催となる。 2008年平成20年) - 第66期より順位戦昇級による昇段日が翌年度4月1日から昇級決まったになった2014年平成26年) - 第72期A級最終戦一斉対局静岡県静岡市葵区浮月楼将棋名人戦第0局と銘打ち指された。最終一斉対局将棋会館以外で行われるのは、初。 2014年平成26年) - 第73期からC級2組50人と多数になり、東京将棋会館関西将棋会館合わせて25局の一斉対局困難なため、組ごとの同日一斉対局ではなく3月最終戦除き分割開催となる(第74期までは2日連続開催2月対局一斉開催だったが、第75期より日程基本的に7日間隔で、2月分割開催変更)。また、B級1組以下の対局日は曜日固定だが、B級2組木曜日から水曜日変更された。このほか、B級1組以下は4月決定していた全対局日程3回分けて決定することとなった2016年平成28年) - 第75期より、B級2組以下は持ち時間チェスクロック式(消費時間60秒未満切捨てなし)の6時になった。また昼と夕方食事休憩50分から40分に短縮された。 2018年平成30年) - 指し分け残留発生した第27期当時規定にはなく、A級において指し分けでも降級することが主催者間で確認された。 2018年平成30年) - 第76期A級最終戦一斉対局が再び浮月楼にて開催される。第77期も浮月楼での開催予定されており、今後A級最終戦一斉対局浮月楼での開催定着する見込みである。 2018年平成30年) - 第77期より、B級2組以下で全勝者が昇級超えた場合昇級すること、降級点消え場合と付く場合同時に起こった場合降級点消してから追加されることが追記された。 2019年令和元年) - 第70回棋士総会において第79期より、B級1組降級=B級2組昇級C級1組昇級2人から3人に、B級2組降級点が5人に1人から4人に1人に、C級1組降級点が5人に1人から4.5人に1人変更された。また今後5年ごとに、昇級降級降級点制度見直し実施していくこと(次回見直し2025年度の第84期)、C級2組降級点フリークラス制度とともに将来的課題として何かしら見直しを行う方向とした。 2020年令和2年) - 第78A級順位戦最終局が浮月楼開催されるが、名称から名人戦第0局が外され将棋界一番長い日」に変更された。 2020年令和2年) - 第71回棋士総会において第80期より、C級2組降級点が5人に1人から4.5人に1人変更された。 2021年令和3年) - 第80期は2020東京オリンピックの関係でB級1組以下は5月開始2022年令和4年) - 第81期より、B級1組持ち時間チェスクロック式(消費時間60秒未満切捨てなし)の6時間になり、A級のみストップウォッチとなったまた、東京将棋会館関西将棋会館に次ぐ公式対局拠点として名古屋将棋対局場開設した

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「順位戦の歴史」を含む「順位戦」の記事については、「順位戦」の概要を参照ください。

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