電気鉄道の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 08:45 UTC 版)
詳細は「電気機関車」、「電車」、および「鉄道の電化」を参照 最初の電気機関車はスコットランドのアバディーンの化学者ロバート・デビットソンによって1837年に製作された。この電気機関車はガルバニ電池を動力として使用していた。したがってこの機関車は世界初の電池式電気機関車でもあった。デイビッドソンは後に、1841年にロイヤル・スコティッシュ・ソサエティ・オブ・アーツ展に展示されたガルバニ号と名付けられたより大型の電気機関車を製作した。7トンのこの機関車は2機の直接駆動式磁気抵抗モーターを搭載しており、固定電磁石は各車軸の木製シリンダーに取り付けられた鉄筋に作用し、単純な整流子が付けられていた。この機関車は1マイル半(2.4キロメートル)の距離を時速6キロメートル(4マイル毎時)で6トンの積荷を運んでいた。機関車は翌年の9月にエディンバラ・アンド・グラスゴー鉄道で試運転が行われたが、動力が電池であることから限られた時間しか連続で走ることができず、一般列車牽引用として使用するにはまだ未成熟なものであった。鉄道労働者たちは自分の仕事の安全に対する脅威と見なし機関車を破壊した。 ヴェルナー・フォン・ジーメンスは1879年にドイツのベルリンで電気鉄道を展示した。1881年、ジーメンスはベルリン近郊のリヒターフェルデに世界初の電気鉄道路線グロース=リヒターフェルデ電気軌道を開業させた。電気軌道の車両は直流180ボルトのモーターで走行し、電気は架線や第三軌条ではなく列車が走行している線路から供給された。1891年に路線は架空電車線方式に変更されベルリン=リヒターフェルデ西駅まで延伸された。ヴォルク電気鉄道は1883年にイギリスのブライトンで開業した。この鉄道は現存する最古の電気鉄道路線で、かつ世界初の第三軌条方式の鉄道である。また、同年にオーストリアのウィーン近郊にメードリング・アンド・ヒンターブリュール路面電車が開業した。路面電車は世界初の架空電車線方式を採用した鉄道であり、かつ定期列車の運行を行った世界初の路面電車である。5年後の1888年、アメリカ合衆国初の電気鉄道であるリッチモンド・ユニオン旅客鉄道がバージニア州リッチモンドにおいてフランク・J・スプレイグが設計した機器を使用し開業した。 幹線における最初の電化は1895年にアメリカ合衆国のボルチモア・アンド・オハイオ鉄道ボルチモア・ベルト線の4マイルの区間で行われ、ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道の主要区間とニューヨーク市への路線が一連のトンネルを介して結ばれた。また、同年に日本では日本初の営業電気鉄道である京都電気鉄道が東洞院塩小路下ル - 伏見下油掛間を開業させている。1897年にスプラーグが発明した複数単位の列車制御装置の成功を受け、急速に地下鉄の動力が蒸気から電気へ置き換えられ始めた。1900年代初頭までには、ほとんどの路面電車が電化された。 世界最古の地下鉄であるメトロポリタン鉄道(現在のロンドン地下鉄の一部)は1863年に開業し、1890年に現在のロンドン地下鉄ノーザン線の一部であるシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道が第四軌条方式を使用し電化開業した。世界初の電化された地下鉄路線かつ主要な鉄道路線として初めて電化された路線で、更に世界で初めて地下深くの位置に建設された「チューブ」でもある。路線は、シティ・オブ・ロンドンからテムズ川の下を潜ってストックウェルまでの間を結んでいた。 最初の実用的な交流電気機関車はチャールズ・ブラウンによって設計され、その後スイスのチューリッヒにあるエリコン機械工場で使用されていた。1891年にブラウンはドイツのラウフェン・アム・ネッカーとフランクフルト・アム・マイン・ウェストにある水力発電所の間で、三相交流を使用して距離280キロメートルの長距離送電を実証した。ブラウンはジーン・ハイルマンで蒸気電気機関車の設計に携わっていたときに得た経験を活かし、三相交流モーターは直流モーターよりも高い出力対重量比を持ち、整流子がないことから製造と保守がより簡単であることを見出した。しかし、当時の三相交流モーターは直流モーターよりもはるかに大きく床下台車に搭載することが不可能であり、機関車の車体内部に収めるほか無かった。 1894年、ハンガリーの技術者カンドー・カールマーンは電気機関車用の新しいタイプの三相交流非同期電気駆動モーターと発電機を開発した。カールマーンの1894年初頭のデザインは、1896年から1898年の間に建設されたフランスのエヴィアン=レ=バンにある短い三相交流電化がなされた路面電車で使用された。 1896年、エリコンは三相交流電気機関車をルガーノ路面電車に最初の商業用例として導入した。各30トンの電気機関車は2本の架線から送電される三相交流750ボルト40ヘルツの電気で2機の110キロワット(150馬力)のモーターを動かしていた。三相交流モーターは定速で回生制動を行うことができ、急勾配の連続する路線に適していた。そして1899年に最初の幹線用三相交流電気機関車がブラウンとウォルター・ボベリによって製作され、スイスにある全長40キロメートルのブルクドルフ-トゥーン鉄道で運行を開始した。 イタリアの鉄道は、世界で初めて短い区間ではなく幹線の全体に渡って電化を行った。カールマーンとガンツの協力で建設された全長106キロメートルのヴァルテッリーナ線は1902年9月4日に開業した。電気系統は三相交流の3キロボルト15ヘルツであった。1918年、カールマーンは回転位相変換器を発明、開発した。この発明により、高電圧全国ネットワークの簡単な産業用周波数(50ヘルツ)の単相交流を電気機関車に供給し三相交流モーターを駆動させることができるようになり、また今まで三相交流電化区間では架線が2本必要であったところを1本で済むようにできるようになった。 交流電化のより広い採用への重要な貢献は第二次世界大戦後のフランス国鉄 (SNCF) によって行われた。同社は交流50ヘルツで試験を実施し、それを標準として確立した。この成功した試験に基づいて、現在は産業用周波数とも呼ばれる50ヘルツが世界中の幹線で標準として採用された。なお、日本では商用電源周波数が富士川を境に東側が50ヘルツ、西側が60ヘルツに分かれており、鉄道の交流電化路線も東西で50ヘルツの路線と60ヘルツの路線に分かれている。
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