鉄道院(鉄道省)・国鉄時代
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1906年(明治39年)11月1日 - 鉄道国有法により日本鉄道が買収・国有化され、官設鉄道に移管。逓信省鉄道作業局の所管となる。 1907年(明治40年)4月1日 - 帝国鉄道庁の所管となる。 1908年(明治41年)12月5日 - 鉄道院の所管となる。 1919年(大正8年)6月 - アプト式電気機関車10020形(ED40形電気機関車)10020号機落成。これより、1923年(大正12年)まで製造。 1920年(大正9年)5月15日 - 鉄道省の所管となる。 1931年(昭和6年)12月 - 皇室用客車供奉車340号製造。 1932年(昭和7年)3月 - 皇室用客車供奉車344号製造。 1938年(昭和13年) - 当工場製造第1号D51形蒸気機関車(D51 187)が落成。これより、1942年(昭和17年)まで製造。 1942年(昭和17年)9月1日 - 大宮工機部に改称する。 1943年(昭和18年)11月1日 - 運輸通信省の所管となる。 1945年(昭和20年)5月19日 - 運輸省の所管となる。 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道の所管となる。 1950年(昭和25年)8月1日 - 大宮工場に改称する。 1957年(昭和32年) - 交流電気機関車ED45 1解体修繕施工。 1960年(昭和35年) - DD13形ディーゼル機関車検修開始。 1962年(昭和37年) - 内燃機職場設置。これより、自前でディーゼル機関車および気動車のエンジンの検修開始。 1968年(昭和43年)10月 - 現役蒸気機関車 (D51 507) の最後の全般検査終了。 1972年(昭和47年)鉄道100周年を記念して、正門横に大宮工場新製蒸気機関車第1号のD51 187を展示。 3月 - ガスタービン試作気動車キハ391-1が落成。 1973年(昭和48年) - 新小岩工場および橋本工場を吸収合併し、それぞれを大宮工場新小岩車両センター・大宮工場橋本車両センターと改称。小山電車区所属の115系電車検修開始。 1978年(昭和53年) - 機関車職場、機関車臨改場改築。 1981年(昭和56年) - 機関車職場、ディーゼル機関車整備所改築。 1983年(昭和58年)8月17日 - 14系客車を改造した「サロンエクスプレス東京」が落成。国鉄初のジョイフルトレインとして話題を呼ぶ。 1984年(昭和59年)3月 - 橋本車両センターを閉鎖。 1985年(昭和60年)新小岩車両センターを大宮工場新小岩貨車職場に改称。 6月 - 交通博物館(現・廃止)と共同でリニアモーターカー「MLU001」の磁気浮上走行模型を製作する。1986年にバンクーバー国際交通博覧会に出展された後、1987年に交通博物館で展示される。 1986年(昭和61年) - 職場再編成機関車職場に電機・鉄工・機械・工機・塗装の各職場の一部統合。青函トンネル専用機ED79形電気機関車(ED75形700番台を改造)が落成。
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当工場新製蒸気機関車第1号 D51 187 右:同機の解説看板 10020形電気機関車(のちのED40形電気機関車)信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)用のアプト式電気機関車、14両製造。 この機関車が最初の国産電気機関車であり、当工場の技術躍進の象徴であった。 保存機ED4010については、後述の過去に保存・留置された車両#現在鉄道博物館に展示されている車両の項を参照。 D51形蒸気機関車単式2気筒で過熱式のテンダー機関車、31両製造。 新製第1号である保存機D51 187については、後述の保存車両#R.G.P.(レールウェイガーデンプロムナード)の項を参照。 340形皇室用客車鋼製の丸屋根で、皇室が行幸する際に奉仕者乗車用の客車で、供奉車と呼ばれる。340号と344号の2両製造。 340号車は、尾久車両センター所属で、現在は東京総合車両センター内の御料車庫に保管中。 保存車両344号車については後述の保存車両#新幹線高架下の項を参照。 スハ32系・オハ35系・スハ43系客車鋼製の2軸ボギー客車。1930年代から1960年代にかけて製造された。 まったくの新製から改造まで多岐に渡り、主に三等車や緩急車を多数製造した。 保存車両オハ35 2001については、後述の保存車両#新幹線高架下の項を参照。
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