鉄道院職員教習所
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1909年(明治42年)、鉄道院初代総裁後藤新平によって各鉄道管理局(東部・中部・西部・九州・北海道)ごとに鉄道院職員地方教習所が、東京に鉄道院職員中央教習所が設置された。いずれも入所資格は部内職員のみであった。単なる技術習得よりも人格修養を重視した。 地方教習所(教習期間6月以内、以下地教)は所属長の推薦のみで選抜し、学科試験はなかった。学科は業務科(駅務系統)、運転科(運転系統)の2学科体制が基本であった。教習科目は車輛、保線、法規、信号保安及列車運転計画、交通地理、計理、統計といった鉄道業務に関するものの他に、精神講話、数学、英語のような普通科目を教えていた。教習期間中は無給だが、総裁の許可を得て、一定の教習手当を支給できた。 中央教習所(以下中教)は普通科(甲部=業務、乙部=運転の2部制)、英語科、特科の3学科である。特科・英語科には卒業後4年間の奉職義務があった。修学旅行も実施した。ただし特科は実際には設置されなかった。 普通科(6月以内)は官公立中学校卒業程度の学力を有する者、地教修了後に現場で成績優秀な者を所属長の推薦によって選抜して入所させた。普通科はもともと2期限りの臨時の組織であったが、向学心があっても経済的な事情から進学の夢を断たれた職員に学びの場を提供することとなり、制度が恒久化された。 特科(1年以内)は中教普通科卒業生または各部局所長の推薦した者で学科試験で合格した者、中教普通科卒業者で中教所長が特に推薦したものを入所させる。 英語科(6月以内)は年齢25歳以下で官公立中学校卒業程度の学力を有し、勤続6ヶ月以上で将来も永く鉄道に勤務することが確実な職員に対し、選抜試験を課した上で入所させた。
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