賠償金への不満とは? わかりやすく解説

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賠償金への不満

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:46 UTC 版)

ヴァイマル共和政」の記事における「賠償金への不満」の解説

第一次世界大戦の賠償」も参照 ヴェルサイユ条約によってドイツ課され賠償金総額決め賠償会議1920年初頭以来何度も開かれてきたが、最終的に1921年3月ら行われたロンドン会議において決定された。その金額は1320億金マルク具体的に毎年20マルク輸出額の26%を30年支払方式による返済定められた。さらに、そのうち最初10億マルク25日以内支払えドイツ通告してきた。1921年5月4日、フェーレンバッハは受諾不可能として辞職しかわって5月10日就任したヨーゼフ・ヴィルト中央党)のもとで受諾された。ヴィルト政権では、人民党抜け代わりに社会民主党入ったのでワイマル連合復活した。なお、10月22日第1次ヴィルト内閣辞職したが、内閣改造経て同月26日第2次ヴィルト内閣成立している。 ヴィルト条約遵守する履行政策」をとって連合国信頼得ようとした。しかしこの莫大な賠償金ドイツの経済苦しめ、さらにヴェルサイユ条約への不満を強めることになった3月20日にはオーバーシュレジエン地方帰属をめぐる住民投票が行われ、ドイツ帰属派が多数60%以上)を占めた。しかしポーランド帰属派が反対して暴動起こし両国の間で戦闘起こったシレジア蜂起)。国際連盟はオーバーシュレジエンを分割して解決する事にしたが、地下資源産出地ポーランド組み入れるように線引きしたためドイツ人多数占め地方ポーランドとなった。これはドイツ国民ヴェルサイユ体制への反感をさらに高めさせた。8月には休戦協定署名しバウアー内閣蔵相務めたマティアス・エルツベルガーエアハルト旅団流れをくむ極右テロ組織コンスルの手によって暗殺された。エルツベルガーは、戦時中に平和決議提唱したこと、コンピエーヌの休戦条約調印したこと、第1次大戦後に戦時利得者に大幅課税をしたことなどのために右翼から憎悪対象にされていた。そして、なによりユダヤ人であったことから反ユダヤ主義根付いていた右翼勢力暗殺対象にされたのである一方で連合国の間でも賠償金支払方法については議論があり、特にイギリス首相ロイド・ジョージドイツ経済破綻とそれに続く共産革命恐れていた。1922年なって賠償支払い再検討が行われ、カンヌ会議1月)やジェノア会議4月 - 5月)において議論された。ジェノア会議にはドイツヴァルター・ラーテナウ外相出席認められ、またソビエト連邦ゲオルギー・チチェーリン参加した。この会議中ラーテナウチチェーリン協議し4月16日にはソビエト政権承認、独ソ双方賠償債務放棄定めたラパッロ条約締結された。これはポーランドとの紛争抱えていた両国利害一致した事、また旧帝時代債務返済拒否しようとするソビエトと、ソビエトへの賠償支払いによる賠償金増加恐れたドイツ利害一致したのである。またゼークトヴェルサイユ条約軍備制限から逃れるために、ソビエト軍秘密協定を結び、ソビエト軍再建支援するとともにロシアにおいて秘密訓練兵器の生産行った。軍や外務省にはソ連と結ぶことで西側連合国対抗しようとする東向き政策志向する動きがあり、ソ連との連絡ラデック通じてひそかに行われていた。 ラーテナウ賠償金減額のためにあえて東向き政策同調したが、反共産主義立場をとる右派から激し非難受けたこのため6月24日ラーテナウエアハルト海兵旅団配下の手によって暗殺された。ラーテナウ殺害は大変むごたらしいもので、オープンカー自宅から外務省へ出勤する途中後ろをつけてきた自動車から機関銃乱射されたあげく手りゅう弾投げ込まれ、体は四分五裂にされた。前年8月26日には、同じくユダヤ人だったエルツベルガー元蔵相がコンズルの手暗殺されているなど、この頃右翼準軍組織によるテロリズム大手を振っていた。 ラーテナウ葬儀ヴィルト首相は「敵は右側にいる」という演説行い反政府活動への対処始めたエーベルトは「共和国保護の緊急令」を発し7月21日に「共和国保護法(ドイツ語版)」として法制化された。これにより左右過激派活動への取締り強化されテロ行為一段落した10月社会民主党独立社会民主党右派合流したこのため社会民主党左傾化し、エーベルト大統領提唱した人民党との連立拒否した1922年7月ヴィルト政府連合国賠償金の支払いに関して協議しマルク暴落理由にして向こう3か年を含む再度支払い猶予求めたが、強硬な態度フランスによって再度交渉決裂した交渉行き詰まったヴィルト首相1922年11月14日辞任ヴィルト内閣瓦解したエーベルト大統領ヴィルト後任に、中央党人民党民主党バイエルン人民党そして国家人民党支援を受けるヴィルヘルム・クーノ指名11月22日、クーノ内閣に代わった。以後しばらくの間純然たるブルジョア内閣時代が続くことになる。

※この「賠償金への不満」の解説は、「ヴァイマル共和政」の解説の一部です。
「賠償金への不満」を含む「ヴァイマル共和政」の記事については、「ヴァイマル共和政」の概要を参照ください。

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