解散後1986年以降とは? わかりやすく解説

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解散後1986年以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 19:15 UTC 版)

カジャグーグー」の記事における「解散後1986年以降」の解説

ニック1987年3月サイモン・エリスキーボード)とオースティン・ハワード(ボーカル)と3人で、Ellis, Beggs & Howard結成BMG契約し88年6月1stシングルBig Bubbles, No Troubles」(英国59位)を発表する(この曲はドイツオランダヒットしその後6種類リミックス発表された。またニック公式サイトの中で「この曲が今までで1番気に入っている」と書いている)。同年8月2ndシングルBad Times」、11月には3rdシングル「Where Did Tomorrow Go?」発表4thシングルには「Big Bubbles, No Troubles」をYouthミックスし直したBubbles」を発表、4発表時にバンド名をEBH改名その後ライブ中心に活動続け1992年5目のシングルChocolate Coated Money」を最後に解散する。しかし、解散後1995年4月1stアルバム『Homelands』を発表している。 また、ニック自主製作1991年から1992年の間に作ったEllis, Beggs & Howard未発表曲を中心としたアルバム『The Lost Years Vol.1』(原題:Clicks, Pops & Drop outs)を自身レーベルFlying Saucer Musicから売り出した活動休止をしていたリマール一時期アリスタ契約していたが結局レコード発表せず、この頃仕事少なめだったリマール職業安定所に通う姿も見られたが、その後自身事務所Lamhil Music設立し1991年久々にBassline Featuring LimahlとしてシングルStop」と「Maybe This Time」をドイツ発表その後イギリスではメジャー契約をしないまま、1992年リマールの名前でシングル「ラブ・イズ・ブラインド -愛の行方-」を発表(このシングルには楽器リース業を始めていたジェズがクレジット載っている)。さらにはカジャグーグー時代ヒット曲君はTOO SHY」をリメイクし、元曲の「Shy Shy」の歌い方にAOR調のアレンジ加えたToo Shy '92 Remix」を発表した。そして1992年末に、4シングル入れた3rdアルバムLove Is Blind』を発表その後リマール自身活動の他に、キム・ワイルドアルバム作りにも参加しつつ、それとは別にGuy Phetheanと組んだプロデュースチームJupiter」を結成し1994年にSylvia Mason Jamesボーカル据えたシングル「Destiny」発表、さらに1996年にはGuy Phetheanとの共同名義Shy Guy Featuring Limahlの名前でシングルWalking In Rhythm」を発表、この曲はリマールアルバムには入っていないレアな曲となった一方ニックその後、アイリッシュ・バンドのアイオナ (Iona)にベーシストとして参加アルバムケルズの書 (The Book Of Kells)』と『ビヨンド・シーズ・ショアーズ』の2枚参加して脱退するその後は、デュラン・デュランギタリストであったウォーレン・ククルロのソロ・アルバムや、EBHSimonギターPaul Harveyと共にゲイリー・ニューマンや、ベリンダ・カーライル、D:reamなど様々なアーティストプロデュースや、セッションプレイヤーとして参加しながら、雑誌Bass Guitar Magazine」のスタッフライターとしても活躍していた。また、1996年には日本のアーティストCoziのプロデュース全面協力しミニ・アルバムNaked Sun』のベース全般と、「Babylon」では作詞を、「SPACE HITCH-HIKER」では日本語バック・ボーカル披露している。 ジェズは脱退後ロンドン楽器リース業「Atlantic Hire」を経営していて、解散以来ドラム・スティック握っておらず、他のメンバーとも交流が無いらしい。 スティーヴ1986年に、Andy Fitzgeraldボーカル)とPaul Turley(ドラム)と3人でSmalltown Elephantsを結成UKポリドール契約しa-haUKツアー前座勤めながら同年6月シングルWalking On Ice」を発表レコード会社とのトラブルアルバムデビューはできずに解散した)。その後Baby Boomerangや、Christmas Island結成したが、現在は1994年自身音楽制作会社Protec Music」をLeighton Buzzardに設立他のアーティストとのプロデューサー業や、ギター講師Lu Cozmaとのプロジェクト傍らニックソロ活動支援している。また、1998年アール・ヌーヴォー時代シングルFear Machine」をリメイクし、自身歌ったFear Machine 2000」を作成してインターネット配信していた(スティーヴはこの曲でニック歌い方を真似し、それを聴いたニックは大変気に入ったそうだ)。今では時々、ベースプレイヤーとしてスチュワート地元音楽仲間と「Malachi」というカバーバンドでプレイしている。 スチュワートカジャ解散後ソロ名義活動行ったがどれも上手く行かずHelen Shapiroと組んだ際にはギタープレイヤーとしての才能見出したが、財政的な問題生じた結果音楽業界から引退したその後地元のレイトン・バザードに戻り、「Read Soft」というIT企業ソフトウェアセールスしながら、時々スティーヴ地元音楽仲間と「Malachi」というカバーバンドを組んでいる。 1998年イギリスでは80'sミュージックブーム訪れカルチャー・クラブや、スパンダー・バレエなどいくつかの1980年代活躍したバンド再結成や、期間限定ライブ活動行った。その当時活動下火になっていたリマールも「カジャグーグー再結成」を画策して準備進め他のメンバーにも何度オファー掛けていた中、映画ウェディング・シンガー』のサントラに「君はTOO SHY」が使われることになり、再結成の話が現実味帯び始めた。しかしニックがそれを嫌い、一度目の話は結局流れてしまった(当時ニックリマール解雇したことで、本当解雇理由知らないファンからマイナスイメージ持たれそのことで傷つき、あるTVインタビューでも「もうカジャの頃には戻りたくない」と語っていた)。ただ、リマール自身その計画無駄にはできず、1999年以前作ってお蔵入りになっていた新曲Rhythm Of Love」と「Lost In Love」の2曲と、カジャ脱退後の曲をリマール自身歌い、それらを加えたものをベストアルバムとして発表したまた、同年に『12 Of Pleasure』というコンピレーション・アルバムに「Then Suddenly」という曲も発表したその頃ニック1997年頃からジョン・ポール・ジョーンズや、ハワード・ジョーンズツアー参加する様になり、2000年にはハワード・ジョーンズのリメイクベストアルバム『Perform.00』(※日本タイトルは『メタモファシス (Metamorphosis)』)のレコーディングツアーベーシストとして参加したまた、以前から計画していたチャップマン・スティック使ったアルバムの製作に取り掛かり20曲を完成させ、2000年5月に初のソロ・ライブ行い翌年5月にその中の15曲を収録したアルバムStick Insect』を自主製作第2弾として発売したその後雑誌Guitarist」の企画新楽器Chapman NS Stickデモ曲を作曲雑誌付録として、正式なタイトルも無い「Chapman NS Stick Demo」(※後にタイトル「Do Wot You Want」)を披露した2001年3月リマール1980年代映画主題歌を歌うミュージカル参加、そのステージ収録したWhat A Feeling II』が発表され他のアーティスト一緒に007/美しき獲物たち (A View To A Kill)」や「ネバーエンディング・ストーリーテーマ」など数曲を聞かせている。 2002年ニックジョン・ポール・ジョーンズや、他のアーティストアルバム製作参加しながら6月に、以前日本FM局放送したテープ元に1984年9月ツアーファイナル東京公演収録したKajagoogoo Live In Tokyo 1984』を自主製作第3弾として発売、そして8月にはスティーヴ友人で、カジャウェブサイト主催するKen Tidyが『Art Nouveau Live』と、スティーヴバンドの『Smalltown Elephants 1986-1988』を自主製作発表した一方リマール久々新曲Love That Lasts」を9月発表した2003年6月スティーヴの所でギター習っていたヘイリー・ボニックの音楽学校卒業制作ニック加担して新たなバンドプロジェクトを企画ボーカル全英音楽学校から選考してアレックス・スタンプをボーカルとして加えてインダストリアル・ソルト名づけたバンドプロジェクトを開始した。そして、ニックスティーヴ共同プロデュースバンドサポートメンバー勤めたインダストリアル・ソルトの名前はある日ヘイリー宿題をしている時に化学教科書から拝借したもの)。

※この「解散後1986年以降」の解説は、「カジャグーグー」の解説の一部です。
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