親日派による祭り上げ・誇張疑惑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 03:02 UTC 版)
「柳寛順」の記事における「親日派による祭り上げ・誇張疑惑」の解説
1945年の独立以前は全く知られていない人物であり、国民挺身総動員朝鮮連盟、朝鮮臨戦報国団の幹部で典型的な親日派であったために、独立後に親日派容疑者とされた朴仁徳(パク・インドク、박인덕)と皇道学会会長も務めていた辛鳳祚(シン・ボンジョ、신봉조)という2人の梨花学堂出身女性の会話から始まった。梨花女子高等学校(梨花学堂の後身)の校長だった辛鳳祚は、1946年に朴仁徳に「梨花出身で国家と民族に貢献した人はいないか?」と尋ねた。朴仁徳は自分の教え子で3.1独立運動に参加し、後に死亡していた柳寛順の名を挙げた。そして、柳寛順が韓国人に最初に知られるようになったのは、朴仁徳と全永沢が『殉国少女柳寛順伝』という伝記で柳寛順のことを紹介したことからであった。朴と辛の2人は「柳寛順記念事業会」の設立、柳寛順の武勇伝の広報をするようになる。伝聞情報を基に「伝記」が書かれ、映画が製作された。その伝記は、1950年代から国民学校(初等学校)の教科書に載った。2014年のニューズウィーク日本語版によると日本統治時代に抗日活動を行ったとされる金日成に対し、後に韓国初代大統領となる李承晩は日本統治時代にアメリカに亡命し、戦後ようやく朝鮮半島南部に帰国した人物であった。抗日の英雄となった金に張り合うには、「3・1運動を継承した」という名目を欲していた。そこに、柳の話が耳に入り、李の思惑が柳が在学していただけの梨花学堂と一致した。梨花学堂は日本統治下でも優秀な人材を育てた名門校だけに同校関係者は戦後、「日帝の協力者」と韓国内で指弾されることを恐れた。そこで、当時無名の柳を引っ張り出し、母校が誇る愛国者・韓国建国の正統性を裏付ける存在とした。背景には、民族代表33人は、独立宣言発表後の決行当日に不安に襲われ、3:1独立運動のデモを率いず、朝鮮総督府側に一人を除いて自首し、後に日本統治下で朝鮮が経済成長すると、多くが転向し官民で要職に就いたことから、戦後は親日派と糾弾されたためであった。そのため、数多くの逮捕者の1人でしかなかった柳は、指導者らと違って親日派になる前に亡くなったことで祭り上げるのにもってこいの人物だった。1947年に李承晩は梨花学堂関係者と共に柳寛順記念事業会を発足し、翌1948年には「3・1運動の精神を継承した」と前文に記載した憲法を公布し、韓国を建国、大統領に就任した。2000年代以降に遺族や研究者から創作と指摘されることになるが、1948年に製作された映画で表現されたイメージが、そのまま彼女のイメージとなった。前文は幾多の憲法改正からも生き残り、その後も韓国人イメージは1948年製作の映画や国定教科書由来であり、公的機関による柳への勲章授与や生家の復元など神話化は続いた。そのため、彼等が独立後に親日経歴を隠すためと同時に韓国国内のプロテスタント宣教戦略に有効に活用された「時代のアイコン」だったのではないか指摘されている。1962年に韓国政府は柳寛順に「建国勲章独立章」(3等級)という勲章を授与している。柳寛順研究所の客員研究員によると各種記録で出生・死亡年月日、名前の漢字表記や兄弟の数、梨花学堂に入学した年度も、それぞれ異なっている。2000年10月に韓国人に知られていた柳寛順の生年死没月日、最終刑量、遺体の状況が異なると指摘された。出生年は1904年ではなく1902年で、懲役7年でなく3年、1人娘ではなかったと訂正された。2000年代後半以降から、韓国国内の百科事典でも修正され、国定教科書の内容も史実に合うように書き改められた。また、3.1運動における柳寛順の役割が大きなものではないことが韓国国内でも明らかになったため、歴史教科書からは、相次いで名前が消えた。1950年代以来、柳寛順の伝記を載せていた国定国語教科書も、2010年版の4年生の教科書以降から削除された。戦後に親日派らが自己を弁護するため、北朝鮮よりも韓国に国家の正当性があるとするために、祭りあげられた人物と提起されていることから、2014年8月に高校の韓国史教科書8社のうち4社から名前が無い事が明らかになった。そもそも梨花学堂も女性アメリカ人宣教師が開いた小さな塾であった。日韓併合された1910年に大学科を設置して、「朝鮮半島女性高等教育の新しい時代を開き」、1925年には専門科を設置することで「朝鮮半島女性が専門教育を受けられる最初の女性最高学部が誕生させた」と学校史でも自賛しているが、朝鮮総督府から金銭的支援を受けて朝鮮最大の女子教育機関であった。2010年代には金活蘭(天城活蘭)梨花女子大初代総長(戦後の1945年就任)が親日派であり、2008年には親日人名辞典に登載され、戦後間際に梨花関係者が恐れていた梨花が日本統治に基づいた女子教育機関であったと糾弾されている。
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