親日政権での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/21 07:51 UTC 版)
1938年(民国27年)3月、夏奇峯は中華民国維新政府に参加し、内政部次長に任じられた。同年9月、維新政府と中華民国臨時政府が北平で中華民国政府聯合委員会を組織すると、夏は事務部次長となった。翌年8月、維新政府外交部長に任ぜられている。 1940年(民国29年)3月、汪兆銘(汪精衛)が南京国民政府を樹立すると、夏奇峯は監察院審計部部長となった。同年12月、(汪派)中国国民党中央執行委員に選出されている。1943年(民国32年)4月、フランス専管租界接収委員を、1945年(民国34年)1月、各国在華治外法権撤廃委員会委員を、それぞれ兼任した。 日本敗北後、夏奇峯は上海で漢奸として逮捕された。10月、蘇州高等法院で無期懲役を言い渡され、上海で収監されている。中華人民共和国成立後もそのまま収監され続け、1961年9月12日、獄死した。享年73。
※この「親日政権での活動」の解説は、「夏奇峯」の解説の一部です。
「親日政権での活動」を含む「夏奇峯」の記事については、「夏奇峯」の概要を参照ください。
- 親日政権での活動のページへのリンク