親日派疑惑
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2006年3月、安が満洲国建国10周年を記念して祝賀曲を作曲し、ベルリン放送交響楽団を指揮するフィルムが発見され、親日派疑惑が持ち上がった。2008年4月30日、民族問題研究所などは安を親日派であるとして親日人名辞典に加える意向であることを明らかにした。 2008年4月29日に韓国の市民団体民族問題研究所、ならびにその傘下の親日人名辞典編纂委員会より発表された親日人名辞典の第2回リストに名前が掲載されており、彼らによって親日派であると認定されている。 2009年11月8日に刊行された民族問題研究所の「親日人名辞典」に、日本による植民地支配に協力した一人として名前が掲載された。2019年には、全国教職員労働組合が親日派の人物が作詞または作曲した学校の校歌を変更するように主張。組合側は、親日派の根拠を親日人名辞典に求めたため、安益泰が作曲した校歌も対象となっている。 2020年、金元雄(光復会会長)は国立ソウル顕忠院に葬られている親日派の改葬を提起。安益泰は民族反逆者として批判の対象とした
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