花岡写真館とは? わかりやすく解説

花岡写真館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 13:20 UTC 版)

芋たこなんきん」の記事における「花岡写真館」の解説

町子回想登場する少女時代実家。かつて、大阪市福島区にあった写真館幸いにも戦時中食料難巻き込まれず、比較裕福に暮らしていた。昭和20年6月空襲全焼した花岡徳一(とくいち) 演 - 城島茂TOKIO心優しい町子の父。AB型大阪福島区写真館営み家族のことを常に気にかけている。家族支えるために真剣に仕事打ち込み、「丁寧な仕事をすること」を信条としていた。その姿を見て育った町子は父を尊敬しいつまで思うようになる。 父の常太郎亡き後は店で写真教室を開く。 写真館大阪大空襲全焼したあと、体調崩したこともあり、昭和20年暮れ無念のうちにこの世を去る。 花岡和代回想) 演 - 鈴木杏樹 若かりし頃の町子の母。オルガン弾ける大家族家事切り盛りし徳一開いた写真教室生徒には気前良く接する。 町子成績にはある程度寛大であるが、嘘をつくことには厳しく接する。 昭和20年信夫出産花岡太郎(つねたろう) 演 - 岸部一徳 町子祖父徳一の父。花岡写真館の創業者中之島公園花見客撮影する街頭写真屋から写真館経営にまでこぎつけた家族に対して鷹揚性格だが、仕事に対して厳し姿勢見せる。花岡家飼っていた愛犬ポパイからは家族唯一懐かれずにいた。 昭和18年頃からなんでも仕事引き受けるようになり、金銭感覚シビアになる。かつ丁寧な仕事しなくなり、徳一とは口論増えていく。同年の夏に体調不良倒れるがすぐに回復。実は心臓弱っており、同年の秋、明け方に眠るように亡くなっているところをイト発見される死後、茂の独立のために土地購入していたことが分かる花岡イト 演 - 宮田圭子 町子祖母徳一の母。AB型大家族家事取り仕切る当時としては珍しく従業員家族と同じ食卓で同じものを食べさせていた。 花岡家に何かあるたび、ウメ呼ばれて叱責され役回りが多い。 写真教室には賛同するが、徳一金銭面に疎く和代気前良く振る舞う姿には苦い顔をしていた。 昭和20年3月時点故人花岡ウメ 演 - 淡島千景 町子曽祖母徳一祖母で常太郎の母親にあたる。通称は「バアバアばあちゃん」。常太郎頭が上がらない存在である。大抵、1階自室でのんびり過ごしている。 たびたび、和代叱られる町子かばってくれた。 息子の常太郎先立たれると相当気落ちして泣いてばかりいたらしく、昭和19年後を追うように亡くなる。 花岡町子(回想) 演 - 山崎奈々昭和13年10歳以降)、尾高杏奈昭和18年15歳以降徳一和代長女。おませな面がある文章を書くのが好きで、人形一人芝居をして遊んでいる。学業芳しくない同級生寺岡マサル好意を抱く。 昭和18年編では勇ましい軍国少女になっており、愛国小説書いている。親友キク志津江からは「まこちゃん」と呼ばれる歌劇が好きで裁縫は苦手。相変わらず成績振るわず、特に算数できない。いとこの信次を異性として意識する戦時下のため、女学校1年繰り上げ卒業し女子専門学校進学聖書傾倒して礼拝に通うが、竹山牧師志津江の父の自殺批判したことに反発して礼拝をやめる。 昭和20年勤労動員実家離れて兵庫県飛行機部品工場で働く。 花岡孝子回想) 演 - 中山昭和13年7歳時以降)、中村愛昭和18年12歳以降町子の妹。お転婆少々無鉄砲昭和20年頃にはおしゃれに目覚めていく。 花岡茂 演 - 西川忠志 町子叔父徳一の弟。写真館技師大家族ムードメーカー。 常太郎死後生前購入していた土地の権利書徳一通じて譲られ独立する花岡文代 演 - 増田未亜 町子叔母徳一の妹。美人だが無愛想。幼い町子構ってくれず、「ツンツン」とあだ名されていた。 写真技師亀田何度逢い引きしていたが、亀田帰郷で関係は終わる。 昭和18年時点では結婚し上海住んでいる。 花岡昌江 演 - 尾野真千子 町子叔母徳一の妹できょうだい末っ子通称は「昌江姉ちゃん」。愛嬌があり、幼い町子世話をしてくれた。 昭和18年見合い結婚する。 亀田 演 - 山下徹大 新潟から写真修行来ている写真技師一時激務に耐えられず写真館飛び出したこともあったが、文代懇願されて戻って来た。 町子孝子文代との逢い引き目撃されていた。 その後、父が亡くなったために新潟帰郷した浦田 演 - にわつとむ 明るさ持ち味写真技師昭和18年召集令状が来たため、写真館辞して滋賀帰って入隊お手伝いさん 演 - 細川友美 花岡家お手伝い。 信次 演 - 宮﨑将 昭和18年回想から登場和代の姉の子、つまり町子従兄弟にあたる(母は既に死去)。和代母代わりをしている。町子を「マー坊」と呼ぶ。ギター弾ける実家がある岡山国語教師になるのが夢である。「日本語美しい」と感じており、紀貫之の「人はいさ こころも知らず ふるさとは 花ぞ むかしの香に にほいける」(百人一首35番)を詠ずる町子文学の目を開かせた一人である。 東京大学休学し志願兵となり、昭和19年1月15日岡山入隊あえなくフィリピン沖で乗った飛行機墜落して戦死する

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