美濃国分寺跡
名称: | 美濃国分寺跡 |
ふりがな: | みのこくぶんじあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 岐阜県 |
市区町村: | 大垣市青野町 |
管理団体: | 大垣市(大11・5・23) |
指定年月日: | 1921.03.03(大正10.03.03) |
指定基準: | 史3 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 昭和49.05.22 |
解説文: | 塔及金堂ノ阯存シ尚磚瓦ヲ積メル状態ヲ其ノ儘存セルガ如キハ未ダ他ニ其ノ例ナキモノナリ S45-5-141美濃国分寺跡.txt: 美濃国分寺跡は、これまで塔の基壇とその西北方にある〓(*1)積基壇のみが指定されていたにすぎなかった。道路問題に端を発した昭和43年、44年度の発掘調査によって、寺域がほぼ方二丁であり、従来金堂跡とみなされていた〓(*1)積基壇が講堂で、金堂が塔の西側に配置される法起寺式の伽藍配置をとることが明らかにされた。また中心伽藍をとりまく回廊の西方に僧坊の一部らしい建物跡も発見されている。このような国分寺として珍しい伽藍配置は、おそらく前身寺院の配置を踏襲したものであることが、出土した瓦や、講堂基壇下から発見された柱根から想定されている。指定の範囲を拡大して寺域全体に及ぼし、あわせて寺跡東北方の丘陵上にある国分寺造営の際、瓦を供給したと考えられる瓦窯跡も指定することとした。 |
美濃国分寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 11:04 UTC 版)
僧寺跡は現国分寺の南方に位置する(北緯35度23分5.61秒 東経136度33分4.09秒 / 北緯35.3848917度 東経136.5511361度 / 35.3848917; 136.5511361 (美濃国分寺跡))。寺域は東西230メートル・南北250メートルで、築地塀をもって区画されていた。主要伽藍として、南門・中門・金堂・講堂・僧房(推定)が南から一直線に配されていた。そして中門左右からは回廊が出て金堂の左右に取り付き、その回廊で囲まれた内側の東寄りに塔が配される大官大寺式伽藍配置になる(かつては回廊内側の西に金堂、東に塔を置く法起寺式伽藍配置とされていた)。遺構の詳細は次の通り。 金堂 本尊を祀る建物。基壇は塼積基壇で、東西36.5メートル・南北22.85メートルを測り、南北両面の中央に階段を付す。また基壇周囲には犬走り(幅1.1メートル)が、その外側に雨落溝が認められる。基壇上建物は棟を東西方向とする桁行7間×梁間4間の建物で、東西(桁行)29.4メートル(98尺)・南北(梁行)16.2メートル(54尺)を測り、四囲に庇を付す。現在は同位置で基壇が復元されている。 塔 経典(金光明最勝王経)を納めた塔(国分寺以外の場合は釈迦の遺骨(舎利)を納めた)。回廊内側、中門・金堂の間の東寄りに位置する。基壇は塼積基壇で、東西19.0メートル・南北19.2メートルを測る。基壇の積土には版築技法が認められるほか、基壇周囲には雨葛石(雨落)が巡らされる。基壇上建物は七重塔と見られ、3間四方で一辺10.8メートル(36尺)を測り、高さは58メートルと推定される。基壇中央において心礎(東西1.9メートル・南北2.1メートル)が認められるほか、四天柱・側柱の礎石も認められている。現在は同位置で基壇が盛土により標示されるとともに階段が復元され、現物の礎石が露出展示されている。 回廊内建物 用途不明の建物。回廊内側、中門・金堂の間の西寄りに位置する。基壇・礎石は検出されていないが、雨落溝の検出により、基壇は東西25.4メートル・南北16.4メートルとされる。溝内からは平安時代の瓦が出土しているため、仁和期の火災後の再建建物と推測する説がある。現在は同位置で基壇が盛土により標示されている。 講堂 経典の講義・教説などを行う建物。金堂の北方に位置する。基壇は石積基壇で、東西27メートル・南北18メートルを測る。基壇上建物は礎石建物で、棟を東西方向とする桁行5間×梁間4間の建物であり、東西(桁行)21メートル(70尺)・南北(梁行)12.18メートル(40.6尺)を測り、四囲に庇を付す。屋根は檜皮葺と推測されるほか、北側には僧房へと続く軒廊を有する。現在は同位置で遺構標示がなされている。 僧房 僧(定員20人)の宿舎。回廊西側で遺構が検出されているほか(西面僧房)、講堂北側・回廊東側でもそれぞれ存在が推定される(北面僧房・東面僧房)。 西面僧房は掘立柱建物で、棟を南北方向とする桁行10間以上×梁間3間の建物である。前身寺院の転用であるほか、2度の建替が認められる。現在は同位置で基壇が盛土により標示されている。北面僧房は講堂と軒廊で接続するとされるが、詳細は明らかでない。 経蔵 経典を収蔵した建物。回廊外側、金堂・講堂の間の東寄りに位置すると推定され(鐘楼とは伽藍中軸線に対して左右対称と推定)、鐘楼と同等程度の規模と見られるが、未検出のため詳細は明らかでない。現在は推定位置で基壇が盛土により標示されている。 鐘楼 梵鐘を吊した建物。回廊外側、金堂・講堂の間の西寄りに位置する(経蔵とは伽藍中軸線に対して左右対称と推定)。基壇は塼積基壇で、東西8.91メートル・南北12.9メートルを測り、基壇周囲には雨落溝が巡らされるほか、その外側には石敷が認められる。基壇上建物は掘立柱建物で、棟を南北方向とする3間×2間で、南北12.2メートル・東西8.6メートルを測る。現在は同位置で基壇が復元されている。 中門 金堂の南方に位置し、左右には回廊が取り付く。基壇は東西18メートル・南北8.2メートルを測る。基壇上建物は礎石が削平を受けているため詳らかでないが、前身寺院の建物の掘立柱の柱根数本が検出されている。現在は同位置で基壇が盛土により標示されている。 回廊 中門・金堂を結ぶ屋根付きの廊下で、中門左右から出て金堂左右に取り付く。幅は6メートルで、回廊全体としては東西120メートル・南北93メートルを測る。基壇に版築は認められていないほか、基壇周囲の雨落溝には塼が使用される。溝内で検出された大量の檜皮より、回廊の屋根は檜皮葺と推定される。 南門 中門の南方に位置する、国分寺の正面門。基壇は削平されていたが、側溝から東西19.8メートル・南北12メートルと推定される。基壇上建物も削平のため詳らかでないが、前身寺院の建物の掘立柱の柱根数本が検出されている。現在は同位置で基壇が盛土により標示されている。 築地塀 寺域を区画する塀。幅6.2メートル(下部)・高さ3メートル(推定)を測る。南・北・西側では塀外に幅約3メートルの大溝が巡らされる。現在は同位置で盛土・植栽により標示されている。 以上のほか、国分寺跡正面では参道・幢竿支柱・掘立柱建物・井戸が認められている。また寺域からは多量の瓦・土器のほか、金属製品(瓔珞・釣金具等)・木製品(人形代・斎串等)が検出されており、それらの一部は大垣市歴史民俗資料館で展示されている。 なお、国分寺山の山麓では瓦窯跡(未調査)が認められているほか(北緯35度23分12.00秒 東経136度33分12.05秒 / 北緯35.3866667度 東経136.5533472度 / 35.3866667; 136.5533472 (瓦窯跡))、国分寺跡周囲では条里制の地割も認められる。また青野町に鎮座する八幡神社は、国分寺の鎮守であったと推測される。 回廊跡と金堂院 金堂基壇上面 塔基壇上面中央に心礎。 講堂跡 西面僧房跡 経蔵跡(推定) 鐘楼跡 中門跡 南門跡 築地塀・大溝跡 中門跡出土 柱根大垣市歴史民俗資料館展示。 創建時 柱根大垣市歴史民俗資料館展示。 出土瓦大垣市歴史民俗資料館展示。 創建期瓦大垣市歴史民俗資料館展示。 鬼瓦大垣市歴史民俗資料館展示。 墨書銘土器大垣市歴史民俗資料館展示。 土製露盤伏鉢(大垣市指定文化財)大垣市歴史民俗資料館展示。 土製百万塔(複製)原品は大垣市指定文化財。大垣市歴史民俗資料館展示。 瓦窯跡 遠景
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