美濃国・長瀬城主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/24 14:13 UTC 版)
もとは公家であったが、鷹司冬基が美濃守護・土岐頼忠の息女を正室としたことで、守護・土岐氏の縁戚となり美濃国大野郡長瀬村を知行して長瀬城主となった。鷹司冬明の代に冬明の弟・鷹司政光との間で内紛が起こると、冬明は守護・土岐頼芸の後援を受けたのに対して、政光は斎藤道三の後援を得て、兄を敗死させた。土岐頼芸が尾張に追放された後、旧守護たる頼芸を奉じた尾張の実力者・織田信秀が美濃に侵攻し、迎撃の陣にいた政光は織田勢により討ち取られた。政光の子は幼少のため、斎藤家臣の今井氏の養子となり子孫は今井姓を称した。菩提寺は長瀬村(現・揖斐川町谷汲長瀬)の長山寺。
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