美濃国の清水氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:30 UTC 版)
清和源氏多田氏流山県氏族清水氏は、『尊卑分脈』によると、源頼光の曾孫・多田左衛門尉頼綱の孫・山県先生国政の四男・五郎蔵人頼兼が美濃国大野郡清水邑(現在の岐阜県揖斐川町清水)に所領を得て、清水姓を称したことに始まる。『日本城郭全集7』によると、清水五郎蔵人頼兼の嫡男・清水新蔵人頼高は承久の乱の際に京方において大井戸渡大将となったが、従兄弟にあたる粟野二郎国光とその弟・加野二郎(野頼清)によって討たれた。なお、清水氏は清水新蔵人頼高以降4代・160年から170年間にわたって美濃国大野郡清水邑を治め、後に稲葉一鉄が治めることとなる清水城の原型を築いた。[要出典]また、『日本城郭大系』および『図説・美濃の城』によると、現在の岐阜県関市神野にある大仏山において清水氏の一族・清水頼忠が神野城を築いたという記録もあることから、清水氏は美濃国西部における有力な武家の一つであったことが判る。
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