美濃国不破氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/01 22:08 UTC 版)
百済系帰化人多利須々の後胤で、美濃国当芸郡野上郷仲山麓に生まれた宮勝木実(みやの すぐりの このみ)が、壬申の乱の功によって、当芸郡より分割した不破郡を賜り、不破と改姓したとされる。木実は不破郡大領となり、大宝2年(702年)の持統天皇美濃行幸の際、地方豪族最高位である外従五位下を授かっている。また、同じく壬申の乱に功のあった百済人淳武微子(淳武止)の後裔に、神亀元年(724年)に不破郡に生まれた不破勝(出家して善射)がいる。 さらに、清和源氏土岐氏も存在する。土岐頼遠の子のひとりの頼道が、不破氏と称した。
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