美濃国における村国氏とは? わかりやすく解説

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美濃国における村国氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/23 16:41 UTC 版)

村国氏」の記事における「美濃国における村国氏」の解説

村国氏美濃国各務郡本拠とした氏族で、一説では尾張氏尾張連)の一族想定される。男依より前の村国氏について直接知りうることはなく、全国的に無名に近い地方豪族だったと思われる平安時代作られ和名類聚抄には、美濃国各務郡尾張国葉栗郡大和国添下郡の三か所に村国郷がある。このうち美濃尾張村国郷は、両国の境をなす木曽川隔てて向かい合う推測されているので、もと同じ地域をさしたものであろう平安時代延喜式神名帳は、各務郡村国神社2つ村国真墨田神社があることを記す。葉栗郡には延喜式には現れないが別の村国神社があり、村国男依造ったという伝承を持つ音楽寺がある。 また、後述のように村国男依とその孫の島主は美濃縁がある大宝2年702年)の御野国山方三井田里戸籍村国奥連小竜女なる女がみえる。『続日本紀』慶雲4年707年5月16日美濃国村国連等志売が三つ子産んだと記す。このように村国関わる事と人は美濃国集中しており、村国氏美濃国各務郡結びつける説は確実性が高い。 『日本書紀』壬申の乱当時村国男依に連の姓をつけ、以後史書もみな村国氏を連姓で記す。しかし、連姓は天武天皇時代八色の姓制定前後でまったく地位異にしており、壬申の乱当時における連姓は地方豪族には高すぎる。『続日本紀』大宝元年701年7月記事には、乱当時の姓を付して壬申の功臣並べた中で、村国小依(男依)が姓なしで記されている。これを重視すれば、壬申の乱当時には姓がなく、乱後に連の姓を与えられたと考えることができる。

※この「美濃国における村国氏」の解説は、「村国氏」の解説の一部です。
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