人形代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 22:31 UTC 版)
もともとは祝詞にある東文忌寸部献横刀時呪に由来する。『神祗令義解』によれば「凡六月、十二月の晦日の大祓には、中臣は御祓麻を上れ、東西の文部は、祓刀を上り、祓詞を読め、訖りなば、百官男女を祓所に聚め集へて、中臣は祓詞を宣り、卜部は解除を為せよ」とある。大祓の前に大和と河内の文部(ふみべ)が内裏へ参内し、天皇に祓刀と人形を奉って祝詞を奏上し、天皇は自分の息を吹きかけて自身の災禍を移し憑ける。後に陰陽道でも呪詛に用いた。 現在では神社から配られた人形代(ひとかたしろ)に息を吹きかけ、また体の調子の悪いところを撫でて(このようなものを撫物(なでもの)という)穢れを遷した後に川や海に流す、ということが行われている。この「流す」行為は、後に願掛と結びつき、同時期に行われる七夕祭と結びついて短冊を流すことがある。一部に人形代や短冊、笹竹を焚き上げるということが行われるが、これはどんと焼きや密教に由来する行事であり神仏習合で混用されたと考えられる。
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