人形アニメ製作から晩年へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/16 05:58 UTC 版)
「大村英之助」の記事における「人形アニメ製作から晩年へ」の解説
1961年、戦前の芸術映画社時代の部下である持永只仁、松本酉三とともに、人形アニメの会社「MOMプロダクション」設立して、米ランキン=バス・プロダクションの下請けを行う。岡本忠成も入社。 1964年、北朝鮮を取材した宮島義勇監督の記録映画『チョンリマ(千里馬)』(チョンリマ製作委員会=共同映画)をぬやまひろし、松本酉三と共同で製作。 1971年、「MOMプロダクション」の後身であるビデオ東京プロダクション(河野秋和代表取締役)製作の人形アニメーション『てんまのとらやん』の企画を担当。第7回モスクワ国際映画祭児童映画部門銀賞、1972年度教育映画祭最高賞を受賞した。 1980年、『文化評論』誌(新日本出版社)5月号にエッセイ「本郷新と私」を寄稿。 1984年、野村企鋒監督の自由民権百周年記念映画『秩父事件—絹と民権』(青銅プロ)を監修。 1986年3月23日、死去。
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