縄文時代の主なできごと
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 04:15 UTC 版)
時期区分主なできごと草創期約1万3000年前 - 1万年前 気候環境 この草創期の初め頃は日本列島が大陸から離れる直前であったと推測されている。晩氷期の気候は、短期間に寒・暖がおこり、厳しい環境変化であった。温暖化が進行し、氷河が溶けて海水面が上昇し、海が陸地に進入してきた。「海進」という。 生活住居 環境の変化に伴い貝類や魚類が新しい食糧資源になった。狩猟の獲物は、ゾウや野牛の大型哺乳動物からシカやイノシシの中・小哺乳動物に変わっていった。竪穴住居址からサケの顎骨発見。小型の骨製U字型釣針。 石器 局部磨製石斧が作られる。槍・弓矢の製作・使用。 土器 豆粒文土器・隆起線文系土器・爪形文系土器・押縄文系土器(多縄文系土器)。女性像を線刻した小礫が作られる。 遺跡 泉福寺洞窟・福井洞窟・上黒岩岩陰遺跡・花見山遺跡など。 早期約1万年前 - 6000年前 気候環境 日本列島が完全に大陸から離れて島国となっていた。そして、初めの頃は、現在よりも気温2度ほど低く、海水面も30メートルほど低かった。その後、海水面の高さが戻る。鬼界カルデラの噴火で西日本一帯に火山灰が積もる。 生活住居 数個の竪穴住居で一集落を構成する。組み合わせ式釣り針。ドングリやクルミなどの堅果類を植林栽培する初歩的農法が確立し、食糧資源となっていた。狩猟では、大型の哺乳動物に変わって、シカやイノシシなどの中・小型哺乳動物が中心となった。狩猟道具として弓矢が急速に普及した。 石器 網用の土錘・石錘。ヤス、銛。堅果植物を叩いたり、砕いたり、すり潰したりするための石皿や磨製の石なども使用されていた。 土器 圧煮炊き用の土器の出現が旧石器時代の生活を変えた。縄文・撚糸文の尖底土器が作られた。夏島貝塚から撚糸文系土器、貝殻沈線文系土器、貝殻条痕文系土器という早期から終末までの土器が層位的に出土した。小型の土偶が作られる。 遺跡 貝塚は、この時期の前半には、海が進入して出来た海岸地域に作られていた。貝の種別はヤマトシジミが主体。狩猟とともに漁労が活発化した。最古級の神奈川県横須賀市夏島貝塚、千葉県香取郡神崎町西之城貝塚。押型文土器期に属する愛知県知多郡南知多町先苅(まずかり)貝塚は海面下13メートルの深さから発見された。人口2万100人。縄文犬を人と一緒に埋葬。屈葬。 前期約6000年前 - 5000年前 気候環境 気候温暖で海面・気温上昇(縄文海進、海水面4 - 5メートル高くなる)のため、現在の内陸部に貝塚が作られる。亜熱帯性の常緑広葉樹林、乾季に適応した落葉広葉樹林からなる植物帯の形成。 生活住居 竪穴住居が広場(墓地)を囲む環状集落が造られる。湖沼の発達により丸木船が作られる。漁労活動開始。耳飾り・勾玉・管玉などの装身具が作られる。 石器 木器・土器・櫛・黒曜石などに漆を塗ることが始まる。環状列石が作られる。 土器 この期を境に土器の数量は一気に増加し、形や機能も多様化し、平底土器が一般化する。土器は羽状縄文を施した繊維土器が盛んに作られる(→関山式、黒浜式)。 遺跡 立石列(りつせきれつ)環状石籬。貝塚。人口10万5500人。 中期約5000年前 - 4000年前 気候環境 気温低下始める。海岸線ほぼ現在に近くなる。 生活住居 集落の規模が大きくなる。植林農法の種類もドングリより食べやすいクリに変わり大規模化する。抜歯の風習が始まる。 石器 石棒などの呪物が盛んに作られる。 土器 土偶などの呪物が盛んに作られる。立体的文様のある大型土器が流行する。 遺跡 大型貝塚形成。石柱祭壇。人口26万1300人。 後期約4000年前 - 3000年前 気候環境 生活住居 大型貝塚。内陸地域にも貝塚が出来ていた。製塩専業集団、塩媒介集団、塩消費集団。伸展葬。交易目的の漁労民発生。 石器 土器 村の一角に土器塚が出来る。土器を使った製塩の痕。 遺跡 ウッドサークル(巨大木柱遺跡)。大湯環状列石(ストーンサークル)、東北地方に集中。敷石住居址。人口16万300人。 晩期約3000年前 - 2300年前 気候環境 気温2度前後低下。海面も低下。漁労活動に壊滅的な打撃。 生活住居 漁労の網。東北の太平洋側に銛漁開花。頭部外科手術が行われた可能性。北九州・近畿で縄文水田。 石器 石剣・石刀。 土器 山の寺式土器・柏崎式土器(夜臼式土器)。 遺跡 貝塚。人口7万5800人。
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