縄文後期の遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 01:12 UTC 版)
遺跡中央の平坦地から西側の緩斜面にかけて、後期前葉を中心とする集落遺構がある。南北約200メートル、東西約120メートルの環状集落で、中心に27×20メートルほどの広場がある。後期の遺構としては、長方形平面の掘立柱住居跡42軒、楕円形建物跡24軒が検出されている。広場の南東隅には、方一間(柱間が正面・側面とも1間)で、長軸140から150センチの柱穴を有する建物跡が検出されており、住居というよりは、なんらかのシンボル的建物とみられる。集落の北端、東端と広場の南端には、墓域と断定はできないが、人骨の散乱する区域がある。
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