縄文後期のムラ跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 03:08 UTC 版)
宮畑遺跡の縄文後期のムラは、前述した中期のムラと連続性はなく、約4,000年前に新たにこの場所に移住してきた人々によって営まれたムラであると考えられる。この時期につくられた宮畑遺跡の住居の中には地表面に石を敷いて床とした「敷石住居」と呼ばれる遺構がいくつかある。敷石住居は関東地方にしばしば見られる住居跡で、また、この時期の遺構から出土した土器群は関東地方の土器群と同じ特徴をもつものが多く、この時期のムラは関東地方の影響を強く受けていたと思われる。このほか、この時期のものとしては竪穴住居や埋甕(土器埋設遺構)が検出されている。
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