福留時代とは? わかりやすく解説

福留時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 23:14 UTC 版)

ズームイン!!朝!」の記事における「福留時代」の解説

1988年3月徳光同年4月から開始される夕方報道番組NNNニュースプラス1』のメインキャスター就任することになり、10年目突入した同年3月7日最後担当となった。この日から後任福留功男起用され、この日の放送バトンタッチ兼ねて二人で進行した。なお、福留当時全国高等学校クイズ選手権』(1983年 - )・『アメリカ横断ウルトラクイズ』1977年 - 1990年)の総合司会務めており、『高校生クイズロケ期間(7月下旬から8月上旬にかけて)は収録先から福留中継出演して番組進行され、『ウルトラクイズロケ期間(8月下旬9月から10月上旬までの間の1ヶ月間程)は主に自局および系列基幹局代理キャスター担当していた。 徳光から『ズームイン』の総合司会引き継いだことについて福留後年、「当時高木盛久社長日テレ系列局の役員会で『徳光さんの後任総合司会は誰なんですか』と系列局社長に突っ込まれて、高木社長日テレ局アナの中で私と徳光さんしか分からなかったのでやむなく私が抜擢された」と語っている。なお、『ズームイン総合司会就任に当たり福留は『ウルトラクイズ』『高校生クイズ』はどうするのかを上層部問いただしたが、双方続投聞いてあ然となった当初福留ではなく当時読売テレビアナウンサーで、関西地区キャスター担当した辛坊治郎2代目総合司会最有力候補挙がっていた。 福留は「最初1年間味噌汁の味は変えない徳光時代番組カラーそのまま引き継ぐ)が、1年経ったその後自分の色でやる」として、実際に1年後にはスタッフを総入れ替えし報道・情報番組色を強めたという。最初1年間は、福留中心となって視聴者の朝の生活習慣調査した。この調査によると、トイレ歯磨きなどほとんどの行動が3分以内であることが判明し1回中継時間可能な限り3分以内とするリニューアル実施した同時にそれまで持ち回り制だった中継スケジュール廃止毎月全国系列局ディレクター集めて企画会議行い、それを基に中継実施した。また「情報トレイン」に至って会議であらかじめテーマ決め、各局が企画したテーマ持ち帰って取材進め中継放送した1990年7月には8時台の「NSヘッドライン2回目ニュースコーナー)」を「情報トレイン」に変更さらには31分31秒」を「朝生リポート」に変更し31分31秒に代わる企画「ズームインズーム」を登場させ、「ワンポイント英会話」の開始時間7時20分から7時45分にする、「プロ野球いれコミ情報」の最後に時間切れ爆弾GAME OVER文字表示させて「朝の詩」に移行するなどの大幅なリニューアル行った。また情報番組としてスピーディーな進行志向し福留意向により、オープニングだけではあるものの、徳光時代以来長らく続いてきたが不確実性高くアクシデントの主要因ともなっていたマイスタ前の一般開放取りやめた(番組中及びエンディング継続した来訪者インタビューするなど絡むことはなくなった)。 1991年3月福留日本テレビ退社しフリーアナウンサーに転身したが、本番組の総合司会続投した。福留はこの半年後、TBS情報番組ブロードキャスター』のメインキャスター就任し以降TBS側の方針により、『ブロードキャスター』が休止され場合同時に本番組の放送週を休む形をとっていた。『ウルトラクイズ』『高校生クイズ』の総合司会この年から福澤朗交代したため、前年までのように『高校生クイズ収録のため福留地方から出演したり、『ウルトラクイズ収録のため福留番組1ヶ月離れたりするという事なくなった1991年8月21日 - 23日には、福留海外容体悪化した娘の看病のため滞在先の国に渡航した関係で、急遽初代総合司会徳光3日限り復帰果たし代理総合司会務めた。この3日間に限り当時既に廃止されていたオープニングでマイスタ一般開放実施され見物客と共にズームイン‼︎』を行うかつての光景復活した1992年3月30日直前時間帯マイスタジオ使った情報番組ジパングあさ6』がスタート一部地域を除く)。本番組との合同PRスポット制作された。 1993年4月9日番組放送開始15周年記念して日本テレビ開局40周年記念特別番組ズームイン!!夜!』をゴールデンタイムの夜7時から4時間にわたって放送徳光福留ダブル総合司会により朝と同じスタイル番組夜に展開する企画で、好評につき同年秋に2回目(この時は夜7時からの2時間30分)の放送なされた1993年から1994年掛けて長寿企画である「朝の詩」や「ワンポイント英会話のコーナー終了させた。ニュース量・地中継の量と質の向上などの第2のリニューアル進めスピーディーな番組進行色合い強まった。「朝の詩」は花王一社提供コーナーであり、花王了承得てから終了となった以後花王提供クレジットから降りてPTパーティシペーション扱いとしてCM流した重大な事件事故起きた際、その翌朝にはマイスタでの司会別の者(堀敏彦など)に任せた上でメインキャスターである福留自ら現場から生放送リポートを行う手法多用した1993年7月12日北海道南西沖地震発生の際には、被災した奥尻島翌朝番組ヘリコプターからリポートした。最も有名なのは1995年1月17日阪神・淡路大震災発生から2日後同月19日神戸から番組生放送し現地キャスター被災地被災者リポート行っている。その中継の中では読売テレビ報道フロアからの中継打ち切る形で、福留目撃した被災者火災のあった家屋のがれきの中から救出されようとしている様子そのまま生中継されていた(しかし、当該被災者数分後に白骨まで燃え切った状態の遺体発見されている)。 1996年4月6日土曜日の朝に姉妹番組として『ズームイン!!サタデー』を開始した初代総合司会は後に本番組の3代目総合司会となる福澤朗)。 1998年4月1日前半ネット部分スポンサー体制が、それまで隔日提供から曜日毎の提供に変更された。また、それ以前には提供クレジット方式が度々変更されており、番組開始当初からはオープニング天気リレー全国の天気の後に前提供をテロップコメント紹介していたが、後に前提供・後提供ともコーナー開始時にテロップ済ませようになった

※この「福留時代」の解説は、「ズームイン!!朝!」の解説の一部です。
「福留時代」を含む「ズームイン!!朝!」の記事については、「ズームイン!!朝!」の概要を参照ください。

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