片岡山伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/19 18:49 UTC 版)
片岡山伝説(かたおかやまでんせつ)または飢人伝説(きじんでんせつ)とは、『日本書紀』推古天皇条に収載された飛鳥時代の説話。聖徳太子と飢人(飢えた人)が大和国葛城(現在の奈良県北葛城郡王寺町)の片岡山で遭遇する伝説である。片岡山飢人説話(かたおかやまきじんせつわ)あるいは単に聖徳太子伝説(しょうとくたいしでんせつ)と呼称することもあり、古代における太子信仰のひとつのあり方を示す伝説として注目される[1][2]。
注釈
- ^ 『日本書紀』編纂当時は、死穢・触穢を忌避する観念、風習は未発達であると考えられるが(『日本書紀』皇極天皇元年五月乙亥日条参照)、疫病は恐れられていた。
- ^ 『荘子』大宗師篇第六に「真人」について詳説する部分がある。また、『淮南子』でも言及される。[3]
- ^ 日本史学者の大山誠一は、『日本書紀』推古紀の記述と道教に関心が深かった長屋王や道慈との関係について仮説を提示している。
- ^ 『聖徳太子伝暦』は藤原兼輔を撰者とし、聖徳太子の伝記を編年的に叙述したもので全2巻より成るが、多くの伝説的内容を含んでいる。[4]
- ^ 太子町の叡福寺(現在は真言宗)が「聖徳太子磯長廟」として祀ってきた叡福寺北古墳は、宮内庁により皇室の陵墓(「磯長陵」)に指定されている。
参照
- 1 片岡山伝説とは
- 2 片岡山伝説の概要
- 3 伝承にゆかりのある土地
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