古典文学における片岡山伝説
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「片岡山伝説」の記事における「古典文学における片岡山伝説」の解説
平安時代中期の11世紀初頭に成立したと考えられる勅撰和歌集『拾遺和歌集』には聖徳太子作として次の歌がある(『拾遺和歌集』巻20 哀傷1350)。 しなてるや 片岡山に飯に飢ゑて 臥せる旅人 あはれ親なし この歌と返し歌をもって『拾遺和歌集』最終巻は終わっている。返し歌は、 いかるがや 富緒河(とみの小川)の絶えばこそ 我が大君の 御名をわすれめ である。 なお、紫式部『源氏物語』第20帖「朝顔(あさかほ)」において、光源氏が老婆となった今も才色の衰えぬ源典侍にかけた言葉、 その世のことは みな昔語りになりゆくを はるかに思ひ出づるも 心細きに うれしき御声かな 親なしに臥せる旅人と 育みたまへかし。(現代口語訳) あのころのことは皆昔話になって、思い出してさえあまりに今と遠くて心細くなるばかりなのですが、うれしい方がおいでになりましたね。「親なしに臥(ふ)せる旅人」と思ってください。(与謝野晶子訳) は、この歌をふまえたものであった。
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