古典文学における西欧との対比
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 04:19 UTC 版)
「マザーコンプレックス」の記事における「古典文学における西欧との対比」の解説
河合隼雄は、日本のマザーコンプレックスは、西欧的なそれとはかなり毛色が異なるものであると言っている。たとえば西洋に於ける「お伽話」では若者は竜を殺してお姫様を助けだし、二人は結婚するのであるが、この場合の竜は母親の象徴であり、形式的に母親を殺し、別の女性と結ばれることで男性は自立する。それに対して、日本では、たとえば『浦島太郎』は竜宮城へ行きながら、竜と対峙することなく、娘と幸せに暮らしてしまう。つまり、母親との対立を経ることなく、つながりを持ったままに成長すると言うのが河合の説である。その結果、日本男児は母親とのつながりを持ったままに結婚生活に入り、妻は夫の母親と敵対関係を持つに至る。男性は常に母親の管理下に置かれ、それを脱しがたい。それが、自分の自由に出来る対象を求める心情へと向かえばロリコンや、幼い顔で巨乳、といったアイドルへ向かうと河合は総括している。 しかし、河合のケース・スタディに当てはまらないものもある。例えば『竹取物語』では、かぐや姫への五人の求婚者の一人、大納言大伴御行(おおとものみゆき)に「竜の頭の玉」をとって来るように求め、大伴御行は船に乗って遠くの海々を廻り、大嵐に巻き込まれ、命からがら陸に戻った挙句、求婚を拒絶されている。また『八岐大蛇』(ヤマタノオロチ)の須戔鳴尊(スサノオ)は、奇稲田姫(クシナダヒメ)と結ばれるため、命がけで八岐大蛇と戦って殺し、宮殿を造って奇稲田姫と結婚している。このように民話でみても、必ずしも日本に於ける母 - 息子の関係は調和に満ちたものばかりではなく、河合の説と矛盾する例もある。
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