伝説のあらまし
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/19 03:04 UTC 版)
『日本書紀』による片岡山伝説のあらすじは次のようなものである。 推古天皇21年(西暦613年)12月庚午朔、聖徳太子が片岡(片岡山)に遊行したとき、飢えた人が道に臥していたので、姓名を問うたが返事がなかった。太子はこれを見て飲食物を与え、また、自分の衣服を脱いでその人を覆い「安らかに寝ていなさい」と語りかけ、次の歌を詠んだ。 「斯那提流 箇多烏箇夜摩爾 伊比爾惠弖 許夜勢屡 諸能多比等阿波禮 於夜那斯爾 那禮奈理鷄迷夜 佐須陀氣能 枳彌波夜祗 伊比爾惠弖 許夜勢留 諸能多比等阿波禮」 しなてる片岡山に 飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人(たびと)あはれ 親無しに 汝(なれ)生(な)りけめや さす竹の 君はや無き 飯に飢て臥せる その旅人あはれ 翌日、太子が使者を遣わしてその人を見に行かせたところ、使者は戻って飢者がすでに死んでいたことを告げた。太子は大いに悲しんで、飢人の遺体をその場所に埋葬して墓を固く封じさせた。数日後に太子は、近習の者を召して「過日埋葬した人は普通の人ではない。きっと真人(ひじり)にちがいない」と語り、墓を見に行かせた。使いが戻って来て「墓を動かした様子はありませんでしたが、棺を開いてみると屍も骨もありませんでした。ただ棺の上に衣服だけがたたんで置いてありました」と告げた。太子は再び使者を遣わして、自分がかつて与えたその衣服を持ち帰らせ、以前のように身に着けた。人々は大変不思議に思い、「聖(ひじり)は聖を知るというのは、真実だったのだ」と語って、ますます太子を畏敬した。
※この「伝説のあらまし」の解説は、「片岡山伝説」の解説の一部です。
「伝説のあらまし」を含む「片岡山伝説」の記事については、「片岡山伝説」の概要を参照ください。
- 伝説のあらましのページへのリンク