漢籍の影響説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:16 UTC 版)
「令和」の考案者とされる中西進は以前の著書の中で、「序文の構成」について「王羲之による『蘭亭序』の形式を模したもので、『唐風にならい、仏教を受容しつつ国家的整備を進めた時代』に詠まれたものだと解説している」という。 一方で、中西は「令和」発表後の万葉集講座・インタビューの中で、「中西進という人が考案者と言われているが、ここにいるのは違う人間」としつつ「令和」について誤解が多いとしている。漢籍の帰田賦に類似の文があるとの意見には、「私には理解できない。考案者には理解できなかっただろう」「同じ言葉があるという出典論は江戸時代の学問だ。比較文学の観点からは、文脈が同じかどうかが大事だ」と述べ、否定しており、「帰田賦」の「令月」は2月を指しているが、『万葉集』に収録されている、大伴旅人による「梅花の歌の部」序文の「令月」は1月であり、また「和」の意味合いも違うことから「同じものと考えるのは理解できない」としている。また「(「令和」と蘭亭序・帰田賦との間に)確かに形式などに共通性を見いだすことも可能ですが、文脈や意味がかなり異なるので、典拠にあたるとは思いません」「そもそも僕は、出典が何かより、その言葉がどのような表現かの方が大事だと考えます」としている。 『朝日新聞』によると序文について、「新元号の発表後、中国において「令和」の典拠となった『万葉集』より数百年前、張衡という文人が詠んだ『帰田賦(きでんのふ)』という詩によく似た一節があるとの指摘が広がった」としている。また、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』(岩波書店)の補注において、「令月」の用例として詩文集『文選』巻十五収録の後漢時代の文人・張衡による詩「帰田賦」の句、 於是仲春令月時和氣淸原隰鬱茂百草滋榮 《原文》※約物は後世に調整された形。※太字は新元号に採用された字。仲春令月、時和気清 《書き下し文》※ここでの読みは文語とする。仲春(ちうしゆん)の令月(れいぐゑつ)、時(とき)は和(なご)し気(き)は清(す)む。 が挙げられている。 岩波書店によると、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』の語注に令月は「仲春令月、時和気清」(後漢・張衡「帰田賦」・文選十五」)とある指摘は、江戸時代初期の学僧・契沖の著した『万葉代匠記』に見られ、また戦後の万葉集研究を牽引した学者・澤瀉久孝の著した『万葉集注釈』にも見られるとしている。契沖は序の書き起こし方は、東晋時代の書聖・王羲之の著した『蘭亭序』にならったものではないかと推測している。ほかにも「令」「和」の出る個所は、『文選 詩篇(二)』(岩波文庫)では、『清和』という詩語の注にも引かれており、そこでの訓読は、「仲春の令(よ)き月、時は和(やわ)らぎ気は清し」である。 毎日新聞によると、遣隋使・遣唐使が持ち帰った古代中国の美文をまとめた『文選』は、文章を作成する上での最高の模範で、平安時代前期頃までに成立した日本の古典は、中国の古典の表現を元にして書かれた部分が多いとされ、元号の出典にする場合、「中国の古典の表現を孫引きすることになる」との指摘が出ていたとし、 所功・京都産業大学名誉教授:「日本人は外国から取り入れたものを活用してきたわけで、単なるまねではなく、自分たちのものとして利用してきた」 中国古典学の渡邉義浩・早稲田大学教授:「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」 水上雅晴・中央大学教授:「文選との類似性が考えられ、隠れた典拠にやはり漢籍があることになる」 といったコメントを紹介している。また、複数の漢学者から前掲句の影響が指摘されているが、政府は文選が原典にあたるかなどについて論評はしていないとしている。一方、中華人民共和国外交部傘下の外交学院の周永生教授や北京大学の王新生教授は、日本の古典文化が中国の古典文化の影響を受けているとしながらも、「帰田賦」と「令和」の語には「二者には直接の関係はない」との見方を示している。 東京新聞によると、「安倍首相は新元号の由来が日本の古典(国書)だと強調し、支持する保守層の期待に応えた形だが、しかし二世紀の後漢の時代に活躍した文学者で科学者の張衡の詩文『帰田賦』の一節がある」としたうえで、 早稲田大学教授(漢字学)の笹原宏之:「万葉集の序文は張衡の帰田賦(「仲春令月、時和気清」)や、(中国の書聖)王羲之の『蘭亭序』など、万葉集以前の中国古典を踏まえているようだ」 国文学研究資料館長のロバート・キャンベル:「北東アジアは同じ漢字文化圏なので、国書か中国の古典(漢籍)かという排他的な選別があってはならないと思っていた。今回は帰田賦へのオマージュ(敬意)があり、漢籍を包摂したといえる」 國學院大學名誉教授で歌人の岡野弘彦:「当時は漢文学の影響がとても強い。日本人は大陸の伝統を取り入れつつ、工夫して柔らかな叙情を表現してきた。だから出典が中国の古典でも日本の古典でも、差異にこだわる必要はないのでは」 といったコメントを紹介している。
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