帰田賦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 15:13 UTC 版)
『歸田賦』(帰田賦、きでんのふ)は、中国後漢の文人・張衡(78年-139年)の賦である。6世紀、梁の昭明太子編纂の文芸集『文選』の巻十五の「志」の部に収められている[1]。「帰田」は「官職を辞し、郷里の田園に帰って農事に従うこと[2]」を意味する。
- ^ 齋藤希史 1990, p. 62.
- ^ コトバンク(出典: 小学館デジタル大辞泉). “帰田”. 2019年4月2日閲覧。
- ^ a b c 井上雅夫 1984, p. 4.
- ^ a b 張衡(ちょうこう)とは - コトバンク宮島一彦執筆項
- ^ 范曄『後漢書』張衡伝「衡下車,治威嚴,整法度,陰知奸黨名姓,一時收禽,上下肅然,稱為政理。」井上雅夫1984はこれを誤読し、かえって排斥されたとするが極めて初歩的な誤り。中国の湖北大学の周徳鈞は「稱為政理。」を「民衆がたたえた」と解するがこれが正しいとみられる。周徳鈞『二十五史快読』1992。
- ^ Crespigny, 1050.後漢書・文選ともに年記の記載はなく推定である。
- ^ Neinhauser et al., 212.
- ^ a b c Liu, 54.
- ^ 齋藤希史 1990, p. 65-66.
- ^ a b c d e 齋藤希史 1990, p. 65.
- ^ a b c d 齋藤希史 1990, p. 63.
- ^ a b c 田中淳 (2019年4月5日). “中国・台湾で…もし『令和』の典拠が『万葉集』じゃなかったら”. 中国・台湾ニュース拾い読み. クーリエ・ジャポン. 2019年4月9日閲覧。
- ^ 周公と孔丘すなわち孔子を指している。
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