江戸時代の山王祭とは? わかりやすく解説

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江戸時代の山王祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 00:03 UTC 版)

山王祭 (千代田区)」の記事における「江戸時代の山王祭」の解説

山王祭宵宮6月14日午の刻(昼の12時)から始まった社前別当社僧読経が行われ、続いて神主祝詞奏上神楽演奏が行われた。その後街中山車練り物練り歩いた沿道軒提灯金屏風飾り立てられ桟敷毛氈しつらえて見物客招き夜通し酒宴催し行列の始まる夜明け待った6月15日未明から、山王祭山車行列出発した町内より山下御門入り日比谷御門御堀端沿いに進んで桜田門の前で左に折れ、南番付坂を登って山王社の前で右に折れて御堀端通りに出る。半蔵門から城内入り上覧行ったのち、竹橋門出て大手前屋敷沿って常盤橋御門を出る。ここで練り物解散して神輿だけの行列となり、本町から十軒店本石町鉄砲町大伝馬町田所町、掘留、小網町進み茅場町から御旅所へと至る。御旅所奉幣し神饌奉じたのちに青物町尾張町山下町進み山下御門から元の道筋通って本社に環幸した。 以下は江戸時代神幸祭行列加わった山車の一覧で、当時行列は大先頭にして、次に各町の山車練り物、その次に神輿3基を中心とする行列が続くというものであった。この山車行列内容文久2年時ののである山車次にある町名はその山車出した当時氏子町で、括弧内はその町域相当する現在地名。 一番 諌鼓鶏吹貫山車大伝馬町日本橋大伝馬町一〜二丁目及び六丁目日本橋本町二〜三丁目日本橋堀留町一丁目二番吹貫山車南伝馬町京橋一〜三丁目三番 傘鉾6本 女猿・太鼓打ち人形・神皇后馬乗り人形八幡太郎鐘馗麹町十二丁分(麹町一〜六丁目四谷一〜二丁目)・平河町一〜三丁目平河町一〜二丁目)・山元町麹町一〜四丁目四番 剣に水車吹貫山車山王町銀座八丁目)・南大坂町銀座八丁目)・丸屋町銀座八丁目) 五番 小舟町日本橋小舟町)・堀留町二丁分(日本橋堀留町一〜二丁目)・堀江町日本橋小舟町日本橋小網町)※これらの町は山王社御初穂納めるのみで、実際に山車練り物を出すことはなかったという。 六番 羽衣漁夫山車町(八重洲二丁目京橋二丁目七番 弁財天山車本銀四丁分(日本橋本石町四丁目日本橋室町四丁目)・岩附町日本橋本町三丁目)・本革屋町(日本橋本石町二丁目日本橋室町二丁目)・金吹町日本橋本石町三丁目八番 春日龍神山車品川町裏河岸日本橋室町一丁目)・品川町日本橋室町一丁目)・北鞘町日本橋本石町一丁目)・本両替町日本橋本石町一丁目)・駿河町日本橋室町一丁目九番 静御前山車瀬戸物町日本橋室町一〜二丁目日本橋本町一〜二丁目)・本小田原町一〜二丁目日本橋本町一丁目)・伊勢町日本橋本町二丁目) 十番 加茂人形山車室町三丁分(日本橋室町一〜二丁目)・本町三丁目河岸日本橋室町二丁目)・本船町(日本橋本町一丁目日本橋室町一丁目)・安針町日本橋室町一丁目日本橋本町一丁目十一番 石台牡丹山車本石町四丁分(日本橋本石町三〜四丁目日本橋室町三〜四丁目日本橋本町三〜四丁目)・本石町十軒店日本橋室町三丁目十二番 武内宿祢山車西河岸町八重洲一丁目日本橋一丁目十三番 天照大神山車 : 新革屋町内神田二丁目鍛冶町一丁目)・新石町内神田三丁目)・元乗物町(鍛冶町一丁目神田北乗物町)・本銀四丁分(日本橋本石町四丁目日本橋室町四丁目十四石台牡丹山車武蔵野山車鍛冶町鍛冶町二〜三丁目)・鍋町(鍛冶町三丁目十五石台牡丹山車須田町一〜二丁目神田須田町一丁目)・新石町内神田三丁目)・連雀町神田須田町一丁目十六武蔵野山車三河町一丁目内神田一丁目)・鎌倉町内神田二丁目十七網打ち人形山車小網町日本橋小網町十八番 日の出松に鶴山車新材木町日本橋堀留町一丁目十九番 武蔵野山車新乗物町日本橋堀留町一丁目二十番 月に薄の山車住吉町日本橋人形町二〜三丁目)・住吉町河岸日本橋人形町二丁目)・難波町日本橋人形町二丁目日本橋富沢町)・難波町河岸日本橋人形町二丁目)・高砂町日本橋富沢町)・猿若町一〜二丁目浅草六丁目二十一番 羅陵王山車田所町日本橋堀留町二丁目)・通油町日本橋大伝馬町)・新大坂町日本橋富沢町二十二武蔵野山車冨沢町(日本橋富沢町)・長谷川町日本橋堀留町二丁目二十三番 分銅の鉾2本 : 銀座〈新両替町〉(銀座一〜四丁目二十四番 神功皇后山車 : 通四丁分(日本橋一〜三丁目)・呉服町日本橋二丁目八重洲一丁目)・元大工町八重洲一丁目日本橋二丁目二十五番 玉の井龍神山車石橋人形山車檜物町八重洲一丁目日本橋三丁目)・上槙町八重洲一丁目日本橋三丁目二十六番 棟上人形山車本材木町一〜四丁目日本橋一〜三丁目二十七番 日本武尊山車浦島人形山車万町日本橋一丁目)・元四日市町日本橋一丁目)・青物町日本橋一丁目)・佐内町日本橋二丁目二十八番 大鋸山車蓬莱山車大鋸町京橋一丁目)・本材木町五〜七丁目京橋一〜三丁目二十九番 茶筅茶杓山車呉服橋二丁分(八重洲一丁目)・長崎町新川一丁目)・霊岸島町新川一丁目)・東湊町二丁分(新川二丁目三十番 鯨船山車川瀬石町日本橋二丁目)・小松町日本橋二丁目)・音羽町日本橋一丁目)・平松町日本橋二丁目)・榑正町日本橋三丁目)・新右衛門町日本橋二丁目)・南油町日本橋二丁目三十一番 佐々木四郎高綱山車箔屋町日本橋三丁目)・岩倉町日本橋三丁目)・下槙町日本橋三丁目)・福嶋町(日本橋三丁目三十二番 神功皇后山車本八丁堀五丁分(八丁堀三〜四丁目三十三番 静御前山車本湊町(湊二丁目三十四番 武蔵野山車西紺屋町銀座二〜四丁目)・弓町銀座二丁目)・南紺屋町銀座一丁目三十五番 武蔵野山車一丁目新橋一丁目)・出雲町銀座八丁目)・竹川町銀座七丁目三十六番 斧に鎌の山車新肴町銀座三丁目)・弥左衛門町銀座四丁目三十七番 源頼義山車柳町京橋三丁目)・本材木町八丁目京橋三丁目)・具足町京橋三丁目)・京橋水谷町銀座一丁目三十八番 武蔵野山車山下町銀座五〜六丁目)・南鍋町銀座五〜六丁目三十九番 茶臼挽き人形山車数奇屋町(八重洲一丁目日本橋二丁目四十八乙女山車南新堀町新川一丁目)・北新堀町日本橋箱崎町)・大川端町新川一丁目)・箱崎町一丁目日本橋箱崎町)・霊岸島塩町新川一丁目)・霊岸島四日市町新川一丁目四十一番 武蔵野山車五郎兵衛町八重洲二丁目)・北紺屋町八重洲二丁目京橋三丁目四十二番 武蔵野山車 : 元飯田町九段北一丁目四十三番 棟上道具山車南大工町八重洲二丁目京橋二丁目四十四武蔵野花山車常磐町京橋二丁目付近四十五番 猩々山車霊岸島銀町四丁分(新川一〜二丁目) なおこれら山車のほかに付祭つけまつり)と称するものが出た。各町が出す山車上で見られるように、ある程度内容決まっていたが、付祭それ以外出し物のことを言い踊り屋台という長唄常磐津節などの音曲伴った移動式舞台ともいえるものや、趣向凝らした曳き物(人の手でひく車が付いた大きな飾り物)、造花毛氈飾った駕籠化粧した童子・町娘を乗せた駕籠、また仮装行列のようなものもあり、中でも麹町他からの唐人衣裳行列伴った白い象作り物は度々出され評判取ったという。これら付祭氏子町の中で当番決めて行われた

※この「江戸時代の山王祭」の解説は、「山王祭 (千代田区)」の解説の一部です。
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