江戸時代の巡礼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:53 UTC 版)
江戸時代に入ってから、秩父札所は多くの江戸庶民の観音信仰巡礼の聖地として賑いをみせた。江戸から秩父へは距離が近くその間に関所も無いため、短い日数・少ない費用で巡礼出来ることがその要因の一つであり、元禄期になると経済力を持った江戸の町人達が観音巡礼の名のもとに秩父を訪れるようになった。またこの時期江戸での出開帳が行われ、1678年(延宝6年)の札所20番岩之上堂を皮切りに、18番神門寺、14番今宮坊と次々に札所が出開帳を行い、1764年(明和元年)には、護国寺を会場に秩父札所惣出開帳が行われた。この時の記録によると将軍家治の代参のほか、諸大名、大奥女中、旗本などの参詣もあり、秩父札所の声価は高まり、その後も何回かの惣出開帳が実施されている。そのほか、秩父現地での「午歳総開帳」があり、参詣者も平常年の何倍にものぼった。1750年(寛延3年)総開帳の年の名主報告によると、この年の1月~3月の間には4~5万人の参詣者があったと記録されている。
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