江戸時代の庶民金融
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 03:40 UTC 版)
仕入先などから朝に100文を借りて夕方までに101文返す場合を「百一文」と呼ぶ(利子は1文とは限らない)。 質をとる質屋に対して、質をとらない金融業の総称は「素金(すがね、銀通貨圏の上方では素銀)」であり、現代の消費者金融にあたる。 十日で一割の利子が付く場合は「十一(といち)」、五両借りて月に一分(1分は1両の4分の1)の利子が付く場合(年利にして単利で60%)は「五両一(ごりょういち)」と呼ぶ。 期日を定めて、毎月決まった額を返済する場合は「月済貸し(つきなみがし)」、毎日決まった額を返済する場合は「日済貸し(ひなみがし)」と呼ぶ。日済貸しは現代の日掛け金融(日賦)にあたる。 座頭には幕府から許されて金貸しを営んでいるものがあり、座頭が貸した貸付金を「座頭金(ざとうがね)」と呼んだ。期限は3か月が一般的であった。 二宮尊徳が始めた金融制度を「五常講(ごじょうこう)」と呼ぶ。五常講は世界初の信用組合と言われ、その名は五常(仁・義・礼・智・信の五つの徳)に由来する。無利子・無担保(但し返済時には冥加米を支払った)で1人あたり100日を期限として貸し出し、不払いについては共同責任として組合員が負担した。無尽(むじん)、頼母子講(たのもしこう)の一種である。
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