江戸時代の対外関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:46 UTC 版)
徳川幕府の対外政策は鎖国前後で大きく異なる。1633年の鎖国令で日本人の帰国が禁じられ、1636年の鎖国令以降は、ヨーロッパ人の妻になった者やその間に生まれた人々は追放されるようになった。鎖国の整備後は、それまでと反対に外国人と日本人の間に生まれた人々は国外へ出ることを禁じられた。 追放された人々はマカオやオランダ領東インドのバタヴィアで暮らし、日本人同士よりも他民族との結婚が多かった。裕福に暮らした者もおり、イタリア人船員と日本人の娘「お春」や、オランダ商館長と日本人の娘であるコルネリア・ファン・ネイエンローデは、オランダ東インド会社の社員と結婚した。丸山の遊郭は出島のオランダ人や唐人屋敷の中国人も客となり、遊女との間に子が生まれた。バタヴィアで暮らした日系人には、お春やコルネリアのように裕福な者がいたが、日本で暮らした混血の人々で財を成した記録はわずかにとどまっている。
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