江戸時代の宮将軍擁立説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 01:12 UTC 版)
江戸時代の延宝8年(1680年)に江戸幕府4代将軍徳川家綱が嗣子なくして死去した後、大老酒井忠清が次の将軍に有栖川宮家より幸仁親王を迎えるよう提案し、堀田正俊らの反対に遇い、実現しなかったとする宮将軍擁立説がある。これは『徳川実紀』にも書かれている。
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