幸仁親王とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 幸仁親王の意味・解説 

有栖川宮幸仁親王

(幸仁親王 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/17 06:49 UTC 版)

有栖川宮幸仁親王
有栖川宮
有栖川宮幸仁親王像(理豊女王画)
続柄 後西天皇第2皇子

身位 親王
敬称 殿下
出生 (1656-04-09) 1656年4月9日
日本
死去 (1699-08-20) 1699年8月20日(43歳没)
日本
子女 幸子女王
正仁親王
尊統法親王
父親 後西天皇
母親 藤原(清閑寺)共子(清閑寺共綱女)
テンプレートを表示

有栖川宮幸仁親王(ありすがわのみやゆきひとしんのう 明暦2年3月15日1656年4月9日) - 元禄12年7月25日1699年8月20日))は、江戸時代皇族後西天皇の第2皇子、母は清閑寺共子。子に正仁親王幸子女王東山天皇中宮、承秋門院)、尊統法親王世襲親王家有栖川宮第3代当主。

寛文7年(1667年)に高松宮を継承、寛文12年(1672年)に有栖川宮と宮号を変更した。延宝8年(1680年)に将軍徳川家綱が継嗣のないまま死去した際に、大老酒井忠清徳川将軍に擁立されたとする宮将軍擁立説がある(→江戸時代の宮将軍擁立説を参照)。

経歴

※月日は旧暦。

  • 1667年寛文7年)4月18日、高松宮家相続
  • 1669年(寛文9年)8月29日、親王宣下
  • 1670年(寛文10年)11月21日、元服、兵部卿に任官。
  • 1672年(寛文12年)6月8日、高松宮を有栖川宮に改称する。
  • 1678年延宝6年)4月11日、二品に叙品。兵部卿留任。
  • 1697年元禄10年)5月14日、式部卿に遷任。
  • 1699年(元禄12年)7月13日、一品に昇叙。式部卿留任。 7月16日、牛車宣下。

系譜

参考




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「幸仁親王」の関連用語

幸仁親王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



幸仁親王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの有栖川宮幸仁親王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS