歴代司令長官
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赤松則良(建築委員長) 中将:1887年9月26日 - 1889年3月30日 ※軍港設置委員長として港湾設備の建造を指揮。ドック構築の失敗を後々まで悔やんでいた。 赤松則良 中将:1889年3月8日 - 林清康 中将:1891年6月17日 - 井上良馨 中将:1892年12月12日 - 相浦紀道 少将:1893年5月20日 - ※先祖は平安末期、松浦郡相神浦(相浦)から現在の佐賀県多久市北多久に移住した松浦党の相神浦氏。移住後、相浦と名乗る。 (心得)柴山矢八 大佐:1894年7月13日 - ※すべての鎮守府長官でただ一人、将官に達しない大佐の地位で長官職を任じられた。 柴山矢八 少将:1894年7月30日 - 相浦紀道 中将:1897年10月8日 - 東郷平八郎 中将:1899年1月19日 - ※連合艦隊司令長官時代、万松楼に直筆の「万歳楼」の額を寄贈した。 鮫島員規 中将:1900年5月20日 - ※日露戦争中の激務をすべて坂本俊篤参謀長に丸投げし、「寛厚の長者」と揶揄された。 有馬新一 中将:1906年2月2日 - 瓜生外吉 中将:1906年11月22日 - 1909年3月1日 有馬新一 中将:1909年3月1日 - 1909年12月1日 出羽重遠 中将:1909年12月1日 - 1911年12月1日 島村速雄 中将:1911年12月1日 - 1914年3月25日 藤井較一 中将:1914年3月25日 - 1915年8月10日 山下源太郎 中将:1915年8月10日 - 1917年12月1日 ※小学4年生の令息が、下校中に海軍将校から刺殺されている。現場は八幡神社入口で「児童遊園」の慰霊碑が建つ。 八代六郎 中将:1917年12月1日 - 財部彪 中将:1918年12月1日 - ※鵜渡越からの絶景を老母に見せるため、母を背負って弓張岳を登山したエピソードから「扶老坂」の碑が建てられた。 栃内曽次郎 大将:1922年7月27日 - 斎藤半六 中将:1923年6月1日 - 伏見宮博恭王 大将:1924年2月5日 - ※任期中に第43号潜水艦の沈没事故が発生。鵜渡越の慰霊碑の題字を揮毫して追悼した。 百武三郎 中将:1925年4月15日 - 古川鈊三郎 中将:1926年12月10日 - 飯田延太郎 中将:1928年10月12日 - 鳥巣玉樹 中将:1929年11月11日 - 山梨勝之進 中将:1930年12月1日 - ※統帥権干犯問題にともなう懲罰左遷人事の第一号として海軍省を追放された。 中村良三 中将:1931年12月1日 - ※連合艦隊演習の際に仮想敵軍の役を任じられ、連合艦隊を完膚なきまでに撃破した。 左近司政三 中将:1932年12月1日 - 米内光政 中将:1933年11月15日 - ※戦時統合のために発足した佐世保の銀行に「親和銀行」の名を授けた。 今村信次郎 中将:1934年11月15日 - 百武源吾 中将:1935年12月2日 - ※百武三郎の弟。佐賀県出身の縁で、佐賀県人の参拝者が多い早岐神社二の鳥居の扁額を揮毫した。 松下元 中将:1936年3月16日 - 塩沢幸一 中将:1936年12月1日 - 豊田貞次郎 中将:1937年12月1日 - ※任期中に山本五十六海軍次官から後任候補に挙げられたが、傲慢な返答をして撤回された。 中村亀三郎 中将:1938年11月15日 - 平田昇 中将:1939年11月15日 - 住山徳太郎 中将:1940年10月15日 - 谷本馬太郎 中将:1941年11月20日 - ※歴代長官でただ一人、任期半ばに病没した。世知原小学校に伝わる優勝旗の揮毫者である。 南雲忠一 中将:1942年11月11日 - 小松輝久 中将:1943年6月21日 - 杉山六蔵 中将:1944年11月4日 - 石井敬之 少将:1945年11月15日 - 11月30日
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歴代司令長官
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全て大将ポスト、キングは1944年に在任中元帥に昇進。 ヒラリー・P・ジョーンズ 1922~1923 ロバート・E・クーンツ 1923~1925 サミュエル・S・ロビンソン 1925~1926 チャールズ・F・ヒューズ 1926~1927 ヘンリー・A・ワイリー 1927~1929 ウィリアム・V・プラット 1929~1930 エヒュ・V・チェイズ 1930年9月17日~1931年9月15日 フランク・H・ショフィールド 1931年~1932年 リチャード・H・リー 1932年~1933年 デヴィッド・セラー 1933年6月10日~1934年6月18日 ジョセフ・M・リーヴス 1934年2月26日~1936年6月 アーサー・J・ヘプバーン 1936年6月24日~1938年 クロード・C・ブロッホ 1938年~1940年1月6日 ジェームズ・O・リチャードソン 1940年1月6日~1941年1月5日 1941年2月1日付で常設職としては廃止。 ハズバンド・E・キンメル 1941年2月~1941年12月(必要時に兼任するものとして) アーネスト・J・キング 1941年12月30日~1945年10月10日
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