根本曼荼羅とは? わかりやすく解説

根本曼荼羅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 06:33 UTC 版)

當麻寺」の記事における「根本曼荼羅」の解説

当麻曼荼羅原本(「根本曼荼羅」)は、損傷甚大ながら現在も當麻寺所蔵されており、1961年昭和36年)に「綴織当麻曼荼羅図」の名称で工芸品部門国宝指定されている。現状掛幅装で、画面寸法は394.8x396.8センチである。図様前述のとおり、『観無量寿経』の所説図示したもので、善導の『観経四帖疏』に基づいて構成されている。『観経四帖疏』は「玄義分」「序分義」「定善義」「散善義」の4帖からなるが、当麻曼荼羅では画面主要部が「玄義分」、左辺右辺下辺の小画面それぞれ序分義」「定善義」「散善義」にあたる。「玄義分」にあたる主画面には、転法輪印を結ぶ阿弥陀如来中心とする阿弥陀三尊左右17体の菩薩からなる三十七尊を表し、その上下に宝池や楼閣などを表す。左辺の「序分義」は『観無量寿経』の序にあたる部分で、浄土往生機縁となるマガダ国王妃韋提希いだいけ夫人説話(「王舎城悲劇」)を主題とする。右辺の「定善義」は、『観無量寿経』に説く十六観のうちの13観法阿弥陀浄土イメージし認識する方法)を主題とする。下辺の「散善義」は九品往生図で、十六観のうちの残り3つにあたるものである。根本曼荼羅は画面下方損傷激しく九品往生図の部分オリジナル綴織失われているが、後世模本や『建久御巡礼記』の記述によると、この部分には「織付縁起」と呼ばれる曼荼羅由来記した銘文があり、その中に天平宝字七年」(763年)の年号があったという。 根本曼荼羅は損傷激しいため、かつては絵画染織品かはっきりせず絵画説、織物説、刺繍説などが存在したが、1939年昭和14年)からの大賀一郎らによる学術的調査により、織物であることが判明した。ただし、伝説に言うような蓮糸織物ではなく絹糸平金糸、撚金糸を交えた綴織である。縦横とも4メートル近い大作である本曼荼羅織り上げるには十数年を要するという。製作地については日本説と唐説があり、前述の「天平宝字七年」という年記を製作の年とみるか、當麻寺施入された時期とみるかによって変わってくるが、唐製とする見方が有力である。染織研究者太田は、日本には綴織作例少なく、特に本作のような絵画的図柄表した大作は他に例がないことなど、技法図様両面から本作は唐製であるとしている。 宮内庁正倉院事務所尾形充彦は、2013年平成25年)の特別展當麻寺」(奈良国立博物館)に際し小型顕微鏡用いてあらため本品精査した。その結果本品絹布彩色したものではなく先染めした絹糸用いたものであり、総合的に見て錦や刺繍ではなく綴織と見られるあらため結論した尾形また、本品のような複雑な図様広幅綴織製作する技術上代日本にあったとは考えがたく、本品大陸であろうとしている。 曼荼羅は元は本堂厨子内に掛けてあったが、傷み激しくなった中世に板貼りに改装され江戸時代には板から剥がされて再度掛軸改装されている。京都・大院の僧・性愚(しょうぐ)という人物が、江戸時代延宝5年1677年)に行われた曼荼羅修理状況記録残している。それによると、曼荼羅を板から剥がすために表面楮紙を貼り、注いだところ、大きなとともに剥がれ落ちた剥離した織物残片を板と紙の双方から集めて別に用意していた絹地の上貼り付け織物劣化損耗している部分は絵で補った織物張ってあった板にも図様残り剥離用いた楮紙にも図様転写された。このようにしてオリジナル綴織曼荼羅は、残片を貼り集めた掛幅本と、板、紙の3者に分離した残片を貼り集めた掛幅本が現存国宝曼荼羅で、全体劣化損傷退色著しくオリジナル綴織残存している部分図柄全体の4割程度である。特に図の下部は全く失われ絵画補われているが、阿弥陀三尊の右脇侍向かって左)の部分などにはオリジナル織物比較良好に残っている。板貼りの曼荼羅剥がした後、板の表面剥がれた曼荼羅の跡が残ったものは「裏板曼荼羅」と称し曼荼羅厨子背面安置された。一方剥離の際、紙に転写されたもの(印紙曼荼羅)は一部表装され残り西光寺京都市東山区清水坂)に所蔵されている。 根本曼荼羅は、製作から4世紀以上経った鎌倉時代にはすでにかなり傷んでいたようで、建保5年1217年)には第1回転写本である「建保曼荼羅」が制作された。この第1回転写本京都蓮華王院三十三間堂)に収められ、後に當麻寺戻ったというが、現存していない。2回目転写本法橋慶舜の筆で、文亀2年1502年)に図柄完成し永正2年1505年)に供養された「文亀曼荼羅」(重要文化財)、3回目転写本は、貞享2年1685年の裏書がある「貞享曼荼羅」で、これらはいずれ織物ではなく絵画である。現在、當麻寺本堂曼荼羅堂)の厨子掛けられているのは文亀曼荼羅または貞享曼荼羅である。 根本曼荼羅は損傷激しく基本的に非公開である。ただし、ごく稀に博物館特別展公開されることがある2013年平成25年4月から奈良国立博物館行われた當麻寺極楽浄土へのあこがれ-」展では30年ぶりに根本曼荼羅が公開され話題となった2018年平成30年7月からも前回公開からわずか5年ぶりに修復作業終わった根本曼荼羅が、奈良国立博物館行われる予定の「糸のみほとけ」展で公開された。

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