ビゲロー
ビゲロー
ビゲロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:33 UTC 版)
医師であったウィリアム・スタージス・ビゲロー(1850-1926)もモースの知り合いで、1882年、モースの3度目の来日に同行して来日した。短期の観光旅行のつもりで来日したビゲローは日本の文化や伝統をこよなく愛し、短期の一時帰国を除けばその後7年も日本に滞在することとなった。和服や日本食を好み、天台宗の三井寺(園城寺)に入門して修行し、「月心」という法名を得ている。また、彼は当時の日本の画家や美術研究者に援助を差し伸べ、岡倉天心の日本美術院創設に際して2万円を寄付するなど、日本の美術界の発展に貢献した。また、奈良時代絵画の貴重な遺品である「法華堂根本曼荼羅」を筆頭に多くの日本の美術品を収集した。肉筆浮世絵画700点を含む絵画4000点、浮世絵版画約34000点をはじめとした彼のコレクションは、1911年ボストン美術館へ寄贈された。ボストン美術館全体の浮世絵版画点数は約54000点(三枚続のような続版を1件とすると44000件)なので、ビゲローの収集品だけで全体の63%を占める事となる。 フェノロサのコレクションが絵画中心であるのに対し、ビゲローのコレクションは幅が広く、金工、漆工、染織、刀剣甲冑なども含まれている。ビゲローの遺骨は遺言により日本にも分骨され、三井寺の法明院にはフェノロサの墓と並んでビゲローの墓が建てられている。
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