三度日本へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 22:55 UTC 版)
「エドワード・S・モース」の記事における「三度日本へ」の解説
1882年(明治15年)(44歳)6月初、家族を残し、日本美術研究家のビゲローと横浜に着いた。東大側は歓迎し宿舎を提供した。あちこちで講演し、冑山の再訪もしたが、今回は民具と陶器の収集が目的で、民具は、『ピーボディー科学アカデミー』用であった。大隈重信が、所蔵の全陶器を贈った。 7月下旬から9月上旬まで、フェノロサ、ビゲローらと、関西・中国へ収集・見学の旅をした。そして武具や和書も集めたのち、1883年2月、単身離日した。
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