木造聖徳太子立像とは? わかりやすく解説

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木造聖徳太子立像〈/(太子堂安置)〉

主名称: 木造聖徳太子立像〈/(太子堂安置)〉
指定番号 47
枝番 00
指定年月日 1915.08.10(大正4.08.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造聖徳太子立像〈院恵及院道作/〉

主名称: 木造聖徳太子立像〈院恵及院道作/〉
指定番号 1714
枝番 00
指定年月日 1923.03.28(大正12.03.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 胎内建治三年十一月日ノ銘アリ
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 1277
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造聖徳太子立像〈/(開山堂安置)〉

主名称: 木造聖徳太子立像〈/(開山堂安置)〉
指定番号 1900
枝番 00
指定年月日 1912.09.03(大正1.09.03)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 乾元二年ノ銘アリ
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 1303
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造聖徳太子立像〈/(開山堂安置)〉

主名称: 木造聖徳太子立像〈/(開山堂安置)〉
指定番号 1901
枝番 00
指定年月日 1912.09.03(大正1.09.03)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 南北朝
年代 1339
検索年代
解説文: 南北朝時代作品

木造聖徳太子立像〈(南無仏太子像)/〉

主名称: 木造聖徳太子立像〈(南無仏太子像)/〉
指定番号 1902
枝番 00
指定年月日 1927.09.18(昭和2.09.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 頭部内面建武五年十月廿四日院勢作ノ銘アリ
員数 1躯
時代区分 南北朝
年代 1338
検索年代
解説文: 南北朝時代作品

木造聖徳太子立像〈善春作/〉

主名称: 木造聖徳太子立像〈善春作/〉
指定番号 3072
枝番 00
指定年月日 1958.02.08(昭和33.02.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内納入木仏画所等列名に、文永年三十一木造、同廿五日色取の記がある
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 1268
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造聖徳太子立像

主名称: 木造聖徳太子立像
指定番号 3420
枝番 00
指定年月日 1990.06.29(平成2.06.29)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  鎌倉時代以降盛んに造立された、いわゆる十六太子孝養像で、現在、当寺本堂蔵王堂)の内陣向かって右上の厨子内に安置されている。像は、頭躰幹部大略の一材から彫出し両耳後を通る線で前後に割矧ぎ内刳り施し、袍の襟際で割首として、玉眼嵌入している。表面彩色がほとんど剥落しており、現状古色呈している。
 この種の像としては、きわめて大型のもので、頭躰部ともに十分な量感をもたせながら、深い大振りの衣褶で太造りの躰躯を巧みに引き締め充実感のある姿に彫り上げられている。
 本像には、附の納入品のほかに文永十一年(一二七四)に定意及び信□(道)による書写奥書のある無量寿経阿弥陀経が奉籠されていたことが報告されており、本像の制作時期はこの奥書年紀に近い頃とみて大過なく当代孝養像一基準作としても注目される。この時期孝養像としては、文永五年(一二六八)、仏師善春作の元興寺像、一説院派の作とする道明寺像が著名であるが、本像の作風明らかに異なり、本像の作者当代慶派代表する康円とする説もある。作者については、なお検討余地があるが、父帝の病を憂える面貌表現にみる写実性や、衣文深く力強い彫口など考慮すれば、慶派仏師の手になる可能性は十分考えられよう。
 なお、像内納入品中に五髻文殊大黒天摺仏含まれていることや、前述した散逸経の書写僧の名が弘安三年一二八〇)造立西大寺叡尊像の納入文書「授菩薩戒弟子交名」などにみられることなどから、本像は西大寺叡尊関わる造像である可能性考えられる叡尊自伝感身学正記文永九年条によれば、彼は同年三月金峯山参じたことが記されており、本像の造立をこれに結びつけることも可能であろう

木造聖徳太子立像

主名称: 木造聖徳太子立像
指定番号 3438
枝番 00
指定年月日 1993.06.10(平成5.06.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  袍【ほう】の上袈裟をまとい、柄香炉えごうろ】をささげもつ姿の、いわゆる太子一六孝養像こうようぞう】の大型遺品である。明治二年、神仏分離に伴い興福寺勧修坊より松岡寺に移安され、現在は本堂左脇壇厨子内に安置されている。
 材の寄木造で、玉眼嵌入する。頭体は別材よりなり、頭部両耳前で前後二材矧【はぎ】、体幹部は正面一材、背面左右二材、両肩外側部各一材を箱組み状に矧寄せる。袈裟内袖左前半ば先(袍を含み三材)、右前半ば先(袍袖を含み内、外各一材)、美豆良【みずら】、襟廻りを含む両肩上面両手首、両裳裾脇、両沓先、鉤環等を各矧ぐ。像底には底板貼る表面は錆下地白地彩色とし、肉身部は白肉色、袍は赤、袈裟の田相【でんそう】部は緑地に卍繋切金【まんじつなぎきりかね文様地文とし、白および金で描き、条【じようよう】部は青地金泥きんでい】で唐草繋【からくさつなぎ】文、裏は緑地金泥蓮華唐草横被【おうひ】の内区緑地輪宝団花【りんぼうだんか】文(輪郭盛上げ)、外区緑地牡丹唐草、裏には雲龍描き表す。裳は赤。後補部美豆良右方分、持物、両沓先のみである。
 胸、腹に十分な奥行をとった堂々たる体躯をもち、また著衣には動きのある衣文刻み出して躰躯をよく引き締めており、総じてその作風には十三世前半作例みられる特徴とどめられているが、箱組み式に材を矧寄せるその構造や、盛上げ多用する彩色文様趣致考慮すれば、製作年代十三世後半に入るとみるのが妥当であろう
 太子孝養像遺品中の優作として注目され当初の賦彩を鮮やかに残す保存状態良好さも特筆される

木造聖徳太子立像〈/(太子堂安置)〉

主名称: 木造聖徳太子立像〈/(太子堂安置)〉
指定番号 71
枝番 00
指定年月日 1937.05.25(昭和12.05.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内ニ寛元年正月□(廿)三日大仏子法慶禅ノ銘アリ
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 1247
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造聖徳太子立像

主名称: 木造聖徳太子立像
指定番号 249
枝番 00
指定年月日 1929.04.06(昭和4.04.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造聖徳太子立像〈湛幸作/〉

主名称: 木造聖徳太子立像〈湛幸作/〉
指定番号 798
枝番 00
指定年月日 1935.04.30(昭和10.04.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内ニ元応年正月廿八日造立文書及ビ了海上人遺骨包紙アリ
員数 1躯
時代区分 南北朝
年代 1320
検索年代
解説文: 南北朝時代作品

木造聖徳太子立像

主名称: 木造聖徳太子立像
指定番号 1186
枝番 00
指定年月日 1910.08.29(明治43.08.29)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 像内ニ「実□(舜)」「了真」の針書及び諸種真言種子等がある
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代 1286
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造聖徳太子立像〈/(南無仏太子像)〉

主名称: 木造聖徳太子立像〈/(南無仏太子像)〉
指定番号 1198
枝番 00
指定年月日 1914.04.17(大正3.04.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 法印湛幸ノ胎内銘アリ
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造聖徳太子立像

主名称: 木造聖徳太子立像
指定番号 1451
枝番 00
指定年月日 1929.04.06(昭和4.04.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造聖徳太子立像〈/(夢殿安置)〉

主名称: 木造聖徳太子立像〈/(夢殿安置)〉
指定番号 1567
枝番 00
指定年月日 1909.09.21(明治42.09.21)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

木造聖徳太子立像

主名称: 木造聖徳太子立像
指定番号 1593
枝番 00
指定年月日 1929.04.06(昭和4.04.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品
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木造聖徳太子立像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 06:27 UTC 版)

法隆寺の仏像」の記事における「木造聖徳太子立像」の解説

重要文化財鎌倉時代像高91.1センチ夢殿堂内壇上東面安置される聖徳太子像はいくつかの種類があるが、本像は十六孝養像呼ばれるタイプで、柄香炉捧げ持ち、父用明天皇病気平癒を祈る姿である。ヒノキ材の寄木造玉眼嵌入し、彩色仕上げとする。鎌倉時代末期の作。

※この「木造聖徳太子立像」の解説は、「法隆寺の仏像」の解説の一部です。
「木造聖徳太子立像」を含む「法隆寺の仏像」の記事については、「法隆寺の仏像」の概要を参照ください。

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