明治時代 - 戦前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 08:12 UTC 版)
1880年3月5日、太政官の下に設置されて120年以上の歴史を有する。太政官達18号によって大蔵省の一部局である検査局を廃止して、太政官に直属する地位をもつ会計検査院を設置した。太政官達18号を以下に引用する。 今般太政官中会計検査院ヲ設置シ大蔵省中検査局相廃シ候条此旨相達候事 当時の参議兼大蔵卿、大隈重信は、検査局が大蔵省の下にあるままでは、財政の監査が十分にできないとして会計検査院の創立を太政官に建議した。大隈の建議を以下に引用する。 参議兼大蔵卿大隈重信、本院創立ノ議ヲ建ツ。其大意ニ云フ、財政ノ根源ハ国庫ニ在リ、各庁ノ会計ハ則チ其枝派ノミ。今検査局長大蔵卿ニ隷属シ其監査スル所、唯枝派ニ止リ根源ニ及フ能ハス。(中略)須ラク速ニ一院ヲ設立シ、以テ大ニ検査ノ実ヲ挙クヘシト。会計検査院是ニ於テカ立テリ。 1889年、大日本帝国憲法の附属法令として会計検査院法が制定された。会計検査院法第1条にて天皇直隷の機関であり、国務大臣の命令を受けない「特立ノ地位」が規定された。会計検査院は統帥権を主張する軍部を批判できる希有な機関だった。
※この「明治時代 - 戦前」の解説は、「会計検査院」の解説の一部です。
「明治時代 - 戦前」を含む「会計検査院」の記事については、「会計検査院」の概要を参照ください。
明治時代~戦前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 06:23 UTC 版)
明治時代には夜なきうどんの行商人が高松市内に増え、1887年頃には天秤棒の両端に縦長の箱を下げ、頂部に石油ランプを灯して鈴を鳴らしながら売り歩いていた。箱の下部には丼鉢や湯沸かしを入れ、総重量は60-70kgだったといわれる。20世紀に入るとこれらの業者は全て車輪付き屋台を用いるようになり、その両脇に飾り格子をはめて行燈を吊るしていた。うどんは鰹節と出汁を掛けたぶっかけで、人気があったという。 夜なきの行商人は生麺の卸売業者(玉卸し屋)と契約して道具を借り、営業を行っていた。当時は5軒の玉卸し屋があったが、大正時代にはのれん分けの関係を基に3系統に分かれ、第二次世界大戦終戦までこれが続いていた。 昭和初期には飾りガラスなどを凝らした屋台が並び、夜の高松の風物詩と呼ばれた。 農村部では水車の動力を利用した製粉業が盛んになり、粉を仕入れる小規模な製麺業者も増加した。1930年代にはエンジン式の製粉機が普及し始め、20世紀後半には完全に水車に取って代わっている。同時期には機械式製麺も全国に広がったが、香川県では手打ちの製麺所が残った。 20世紀前半の香川県では年中行事や冠婚葬祭でもうどん料理が振る舞われ、「うどんが打てぬようでは嫁にも行けない」という言葉があったという。
※この「明治時代~戦前」の解説は、「讃岐うどん」の解説の一部です。
「明治時代~戦前」を含む「讃岐うどん」の記事については、「讃岐うどん」の概要を参照ください。
明治時代~戦前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 04:19 UTC 版)
当初は、1868年(明治元年)9月の太政官布告により、31日を除く1と6のつく日を休日としていた(五十日参照)。 しかし、欧米との交易などで不便があったため、1876年(明治9年)3月12日太政官達第27号「来ル四月ヨリ日曜日ヲ以テ休暇ト定ム」によって、欧米に合わせた、土曜日の午後(いわゆる半ドン)と日曜日の終日を休日とするようになった。 祝祭日では、改暦の年である1873年(明治6年)に大きな動きがあった。 1月4日太政官布告第1号「五節ヲ廃シ祝日ヲ定ム」五節句を除外して、神武天皇即位日と天長節を祝日とする。 1月7日太政官布告第2号「休暇日ヲ定ム」お盆(旧暦7月14日 - 7月16日)を除外して、正月三が日(1月1日 - 1月3日)・夏越の大祓(6月28日 - 6月30日)・年越の大祓(12月29日 - 12月31日)を連休とする。 3月7日太政官布告第91号「神武天皇御即位日紀元節ト称セラル」神武天皇即位日を紀元節と改称する。 6月23日太政官布告第221号「第二号布吿中六月二十八日ヨリ三十日迄ノ休暇取消」夏越の大祓の連休が取り消される。 10月14日太政官布告第344号「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」元始祭・新年宴会・孝明天皇祭(先帝祭)・紀元節・神武天皇祭・神嘗祭・天長節・新嘗祭が休日となる。 1878年(明治11年)6月5日の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」の改正によって、春季皇霊祭・秋季皇霊祭が休日に追加された。1912年(大正元年)9月4日には「休日ニ関スル件」が施行されたが、祝祭日の内容について特に変化はなく、1927年(昭和2年)3月4日の「休日ニ関スル件」の改正によって、大正時代限定の天長節祝日が廃止された代わりに明治節が休日となった。
※この「明治時代~戦前」の解説は、「休日」の解説の一部です。
「明治時代~戦前」を含む「休日」の記事については、「休日」の概要を参照ください。
- 明治時代 - 戦前のページへのリンク