日本郵政グループ時代
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2014年、高校卒業と同時に日本郵便に入社し、同年に結成された日本郵政グループ女子陸上部に第1期選手として参加した。同年、自身初の国際大会となる第16回アジアジュニア陸上競技選手権大会(台北)女子3000mに出場し、銀メダルを獲得した。また、第30回東日本女子駅伝では1区を走り、区間賞を獲得、翌年2015年の第31回大会でも同じく1区を走り2年連続の区間賞を獲得した。チームとして初めて出場した第35回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会では第5区を走り、区間新記録で区間2位を記録した。 2016年の第34回皇后盃全国都道府県対抗女子駅伝競走大会では、東京都代表として9区を走り7人抜きで区間賞を獲得、東京都チームの3年ぶりの入賞に貢献し、自身は愛知県チームを優勝に導いた同僚の鈴木亜由子らとともに同大会の優秀選手に選ばれた。2016年6月に行われた第100回日本陸上競技選手権大会(パロマ瑞穂スタジアム)女子10000mでは、レース開始直後から積極的に集団を引っ張り、自己記録及び日本陸連が設定する同種目の派遣設定記録を上回る、31分22秒92で2位となった。また、女子5000mでも自己記録を上回る15分24秒74で3位に入った。この結果をもって、リオデジャネイロオリンピック女子10000m日本代表選手に選出された。オリンピックではハイペースで展開するレースに適応できず、徐々に集団から遅れを取る厳しい戦いとなり、31分44秒44の20位でゴールした。 2018年3月11日の名古屋ウィメンズマラソンで、フルマラソンに初挑戦。序盤からハイペースの先頭集団につく積極的な走りをみせ、中盤の25Km過ぎ迄優勝争いに加わった。以降は優勝のメスケレム・アセファ(ケニア)と2位のバラリー・ジェメリ(エチオピア)のペースアップについていけず徐々に離されるが、関根は大きくスローダウンせずに日本女子トップを維持。結果2時間23分07秒のゴールタイムで、初マラソン日本女子歴代4位の好記録で総合3位入賞を果たし、さらにマラソングランドチャンピオンシップ(2020年東京オリンピック女子マラソン選考会)への出場権も獲得した。しかし、2019年9月15日に開催されたマラソングランドチャンピオンシップは右足第2中骨疲労骨折のため欠場し、その後のMGCファイナルチャレンジの各大会(2019年さいたま国際・2020年大阪国際女子・2020年名古屋ウィメンズ)にも出場せず、マラソンでのオリンピック代表はならなかった。 2020年12月をもって現役の陸上選手ならびに日本郵政グループ女子陸上部から引退した。
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日本郵政グループ時代
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2014年、大学卒業と同時に日本郵便に入社し、同年に結成された日本郵政グループ女子陸上部に第1期選手として参加した。 社会人2年目の2015年、第99回日本陸上競技選手権大会(新潟スタジアム)女子5000mで3位に入り、第15回世界陸上競技選手権大会(中華人民共和国・北京市)日本代表に選出された。世界陸上本番では8月27日の予選2組で15分28秒18で6位となり決勝に進出し、8月30日の決勝レースでは1000〜2000までは、尾西美咲と先頭を引っ張り、3000以降も上位をキープ。15分08秒29の自己ベストタイム(日本歴代5位)の記録で9位となった。 2015年9月に行われた第63回全日本実業団対抗陸上競技選手権大会女子10000mでは、31分48秒18で初優勝し、2016年リオデジャネイロオリンピックの参加標準記録32分15秒00を突破。 2016年1月に行われた皇后盃全国都道府県対抗女子駅伝競走大会で9区アンカーを務めた。たすきを受けた時点では4位で、1位との差が1分37秒差であったが、これを逆転して愛知県代表で初優勝となった(区間賞は日本郵政で同僚の関根花観)。5月に行われたペイトン・ジョーダン招待陸上2016の女子10000mでは31分18秒16(日本歴代8位)をマークし、日本陸連が定めた同オリンピックの派遣設定記録31分23秒17も破った。6月に行われた第100回日本陸上競技選手権大会(パロマ瑞穂スタジアム)女子10000mでは、同僚の関根花観とともに積極的に集団を引っ張り、最後は関根を突き放して31分18秒73で初優勝した。また女子5000mでも先頭を引っ張る動きを見せたが、最後200mで尾西美咲にかわされ、15分24秒47で2位に入った。この結果をもって、リオデジャネイロオリンピック女子10000m及び5000mの日本代表選手に選出された。 ただし、2016年8月12日に開催されたリオデジャネイロ五輪・女子10000mは、左足の違和感から欠場した。4日後の8月16日、リオ五輪・女子5000mの予選2組に登場し、そのレースでは号砲直後から自ら積極的に先頭集団の前方で走行。だが、途中で他選手のスパイクが鈴木の脛に当たって流血するアクシデントもあってか、4000m過ぎで集団から脱落。結局15分41秒82の同組12着に終わり、5000m決勝進出は成らなかった。 11月27日に行われた全日本実業団女子駅伝では二区を走り、チームの初優勝に貢献した。 2018年8月26日の北海道マラソン・女子の部にて生涯初となるフルマラソンに挑戦。レースは後半勝負と決めて待機策を取り、32km過ぎで先行していた谷本観月(天満屋)を抜き去ってからは独走となり、最終的には2時間28分32秒で1位入着し、初マラソン初優勝を飾ると共に2020年東京オリンピック代表選考レースとなるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)出場権を獲得した。 2019年2月3日の香川丸亀国際ハーフマラソンではハーフマラソンに初挑戦にして日本歴代3位の1時間7分55秒でゴール。優勝したベッツィ・サイナ(ケニア)とマッチレースを展開。20キロ過ぎで離され2位だったが日本女子にとって13年ぶりの7分台を記録した。 2019年9月15日に開催される、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)数日前の下馬評では、鈴木が本命視されていた。そのMGC本番では、号砲直後に一人飛び出した一山麻緒(ワコール)へ鈴木を含めた有力選手達がついていき、気温25度と暑さの中ハイペースな展開となる。18Kmを過ぎると優勝争いは鈴木と前田穂南(天満屋)の二人に絞られたが、20Km付近で鈴木は前田についていけなくなり、それ以降の鈴木は2位の単独走に。レース後半に入っても先頭の前田とは差が広がる一方で、さらに終盤の40Km以降で鈴木は大きくペースダウン、3位の小原怜が鈴木を猛迫する格好と成った。それでも鈴木は4秒の僅差で小原を辛うじて振り切って、2時間29分2秒のタイムを記録し、2位でゴール。これにより優勝の前田と共に、翌2020年東京オリンピック・女子マラソン日本代表にが内定選出された。 2021年8月7日に札幌で開催された東京五輪・女子マラソンでは2時間33分14秒のタイムを記録し、19位でゴール。
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