教育者・日本で最初の女学校を京都に創設とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 教育者・日本で最初の女学校を京都に創設の意味・解説 

教育者・日本で最初の女学校を京都に創設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 07:27 UTC 版)

野辺地尚義」の記事における「教育者・日本で最初の女学校を京都に創設」の解説

明治維新後は京都府雇われ京都府員を命ぜられる。京都府立 英語・仏語独語各々語学校の監督委ねられた。明治5年1872年4月14日上京し土手町丸太町南の旧九条邸に、日本最初公立女学校を同府に起こし校名を「新栄学院 女紅場(にょこうば)」と称した東北出身武士野辺地女子ばかりの学校校長選ばれたのは英語にあった京都当時知事比較開明的な人であり、この学校では文明開化沿っていち早く英語を教科取り入れた彼に教師校長として白羽の矢立ったのは当然の成り行きだった。10年校長務めたが、新島襄同志社大学創設者)の妻新島八重教師として参画していた。 明治5年1872年5月福澤諭吉社友早矢仕有的とともに学校訪れている。印象を「京都学校の記」に記している。「英国教師夫妻雇い、夫は男子集めて英語を授け夫人女児預かりて、英語の外に兼ねて又、、縫針の芸を教えり、外国婦人一人なれども府下婦人にて字を知り女工通ずる者も七、八名ありて、その教授助けり。この序に出でて英語を学び女工稽古する女児三十人あまり。士族の子もあり商工平民の娘もあり、各々貧富に従って紅粉装い衣装着け、その装い潔くしてならず、粗にして汚れず言語は嬌で、容貌温和、物言わざる臆する気なく、笑わざるも悦ぶ色あり、花の如く、玉の如く愛すべく、貴ぶべく、真に児女子の風を備えている。この学校中学の内にて最も新なるものなれば、今日有様にて生徒学童未だ上達せしにはあらざれども、その温和柔順天華をもって朝夕英国教師に観灸し、その学業伝習し、旧習脱して独立自主気風潤することあらば数年の後、全国無量の幸福を致す事、今より期して待つべきなり」と述べている。「日本国内において事物順序弁じ一身の徳を修め家族の間を睦まじくせしむる者もこれ子女ならん。世の風俗美にして政府の法を行われ易からしむる者もこれ子女ならん。工を勤め、商を勧め世間一般の富を致すものも、これ子女ならん。平民智徳開き、これをして公に民事議するを得せしむる者も、これ子女ならん。自ら労して、自ら食い一身一家独立謀り遂に一国独立せしむる者も、これ女子ならん。広く外国交わりを結び、約束に信を失せず貿易に利を失わしめざる者も、この子女ならん。概して、これを言えば文明開化の名を実にし、我が日本国をして重からんしめんには、これ子女依頼せずにして他に求むべきの道あらざるなり」と福澤モットーである「独立自尊」とも呼応し子女教育重要性強く感じたようであった明治10年1877年2月1日明治天皇はこの学校訪問する2月7日発行東京日日新聞にはこうある。「この日は女性二百八十九名は吾れ劣らじと美麗尽くして早朝より昇校し今や遅しと時刻の移るを待ち受け奉りけるに、ー中略英国教師ウエットン氏進んで祝辞読み奉る次に女教師エリザベス同じく祝辞奉読するを助教梅田ぬい傍らよりこれを訳し奉る続いて和田おかよ等五名語学の事を講ず二月九日には今度皇太后皇后訪れる。二月十六日発行郵便報知新聞によると「皇太后皇后両宮様には、去る九日九時州分御出門にて女紅場行啓女性三百名ばかり今日晴れ粧い門外奉迎したり。英学教場臨まれし時、英語教師アルザベス、オーン、ウエットン氏が祝辞捧げしを、生徒和田かな女訳奉し、裁縫御覧の時、生徒、香を焚き薄茶点じた。-後略ー」このように内外から注目され学校校長だった尚義だったが、彼自身は表に出ようとはせず、ひたすら教育充実に力を注いでいる。京都府英語学校・独語学校は現在京都府洛北高校になっている明治3年日本最古旧制中学校として創立され京都一中前身とする公立高等学校である。戦前・戦後にかけ京都大学トップ進学者を送り出していた。ノベール賞・物理学者受賞者 湯川秀樹朝永振一郎卒業生である。新栄学院 女紅場その後京都府立第一高女となり、現在は京都府沂(おうき)高等学校になっている校訓は「幸福になりうる社会めざして事実基づいて真理追究し、それに従って実践しようとする人間をつくる」である。過去には京都大学進学第一位であった卒業生には山本富士子団令子加茂さくら山崎正和文化功労者)、田宮二郎塚本能交ワコール現代取締役)等がいる。森光子文化勲章国民栄誉賞受賞)、沢田研二中退している。

※この「教育者・日本で最初の女学校を京都に創設」の解説は、「野辺地尚義」の解説の一部です。
「教育者・日本で最初の女学校を京都に創設」を含む「野辺地尚義」の記事については、「野辺地尚義」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「教育者・日本で最初の女学校を京都に創設」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「教育者・日本で最初の女学校を京都に創設」の関連用語

教育者・日本で最初の女学校を京都に創設のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



教育者・日本で最初の女学校を京都に創設のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの野辺地尚義 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS