投下の理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 07:18 UTC 版)
「日本への原子爆弾投下」の記事における「投下の理由」の解説
太平洋戦争における日本列島での上陸直接戦闘(ダウンフォール作戦、日本軍では「決号作戦」)を避け、早期に決着させるために、原子爆弾が使用されたとするのが、アメリカ政府による公式な説明である。 1932年から日米開戦のときまで10年間駐日大使を務め、戦争末期には国務長官代理を務めたジョセフ・グルーは、ハリー・S・トルーマン大統領がグルーの勧告どおりに、皇室維持条項を含む最後通告を1945年5月の段階で発していたなら、日本は6月か7月に降伏していたので原爆投下は必要なかったと述べている。 アメリカのABCテレビが1995年に放送した「ヒロシマ・なぜ原爆は投下されたのか(Hiroshima: Why the Bomb was Dropped - Peter Jennings)」という番組では「原爆投下か本土上陸作戦しか選択肢がなかったというのは歴史的事実ではない。他に皇室維持条項つきの降伏勧告(のちにこの条項が削除されてポツダム宣言となる)を出すなどの選択肢もあった。従って、原爆投下という選択はしっかりとした根拠に基づいて決断されたものとはいえない」という結論を示した。 原爆を日本に使用する場合、大きく分けて3つの選択肢があった。①原爆を無人島、あるいは日本本土以外の島に落として威力をデモンストレーションする。②原爆を軍事目標(軍港や基地など)に落とし大量破壊する。③原爆を人口が密集した大都市に投下して市民を無差別に大量殺戮する。また、原爆を使用するにしても、2つの方法があった。(A)事前警告してから使用する。(B)事前警告なしで使用する。①の使い方ならば、絶大な威力は持っているがただの爆弾ということになり、さらに②ならば大量破壊兵器、③ならば大量殺戮兵器になり、いずれも国際法に違反して、人道に反する大罪となる。しかし③と(A)の組み合わせならば、警告がしっかりと受け止められて退避行動をとることができれば死傷者の数をかなり少なくできる可能性があり、大量殺戮兵器として使ったとは言えなくなるかもしれない。③と(B)の組み合わせならば、まちがいなく無差別大量殺戮であり、しかもその意図がより明確なので、それだけ罪が重くなると言える。この違いを、原爆を開発した科学者たちや、1945年5月31日に都市への無警告投下を決定した暫定委員会のメンバー、真珠湾攻撃の復讐を公言していたトルーマン大統領、彼とタッグを組んでいたジェームズ・F・バーンズ国務長官たちは非常によく理解していた。例えば、海軍次官のラルフ・バードはあとになって、自分は事前警告なしでの使用には同意しないと文書で伝えた。フランクリン・ルーズベルト大統領は1944年9月22日の段階で、実際の原爆を日本に使うのか、それとも、この国で実験して脅威として使うのかという問題を取り上げていた。同年9月30日には、アメリカ科学研究開発局長官のヴァネヴァー・ブッシュとアメリカ国防研究委員会化学・爆発物部門の主任ジェイムス・コナントはヘンリー・スティムソン陸軍長官に「原爆は最初の使用は、敵国の領土か、さもなければわが国でするのがいい。そして、降伏しなければ、これが日本本土に使われることになると日本に警告するとよい」と勧めた。1945年5月、イギリスはアメリカに、日本に対して原爆使用前に警告を与えるべきであると文書で要望していた。 レオ・シラードが、原爆と原子力利用について大統領に諮問する暫定委員会に大統領代理として加わっていたバーンズ(約1ヶ月後に国務長官となる)と、1945年5月28日に会見したときに得た「バーンズは戦後のロシアの振る舞いについて懸念していた。ロシア軍はルーマニアとハンガリーに入り込んでいて、これらの国々から撤退するよう説得するのは難しいと彼は思っていた。そして、アメリカの軍事力を印象づければ、そして原爆の威力を見せつければ、扱いやすくなると思っていた」という証言は、「アメリカはソ連のヨーロッパでの勢力拡大を抑止するために原爆を使った」という主張の根拠となっている。 有馬哲夫によると、トルーマンとバーンズが、無警告で都市への原爆投下を強行した理由は、人種的偏見と真珠湾攻撃に対する懲罰、原爆をもっとも国際社会(とりわけソ連)に衝撃を与える大量殺戮兵器として使用することで、戦後の世界政治を牛耳ろうという野心である。 戦後の世界覇権を狙うアメリカが、原子爆弾を実戦使用することによりその国力・軍事力を世界に誇示する戦略であったとする説や、併せてその放射線障害の人体実験を行うためであったという説、更にはアメリカ軍が主導で仕組んだ説があり、広島にはウラン型(リトルボーイ)、長崎へはプルトニウム型(ファットマン)とそれぞれ違うタイプの原子爆弾が使用された。豊田利幸はウランの核爆発が実験で確認できなかったためと推測している。
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