恐怖政治下の監禁生活とは? わかりやすく解説

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恐怖政治下の監禁生活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:05 UTC 版)

ルイ17世」の記事における「恐怖政治下の監禁生活」の解説

恐怖政治にあったタンプル塔収容者への待遇次第悪くなり、1793年5月初めに高熱脇腹痛み訴えたルイ17世のため、マリー・アントワネット診察要求したが、何度も拒否され続けたその後診察が行われ、熱は下がった腹痛は治まらなかった。以後ルイ17世体調崩したままとなる。 7月3日ルイ17世家族引き離され階下ルイ16世使用していた部屋移動させられた。王室を汚い言葉罵る新聞発行するジャック・ルネ・エベールから後見人教育係として命令受けた文盲靴屋アントワーヌ・シモン英語版)の元で過ごすことになったシモンエベールパリ・コミューン指導者アナクサゴラス・ショーメット(英語版)による監視及び、貴族的なものを忘れ良き市民となるための再教育が行われた。彼らはサンキュロット見え様にルイ17世喪服脱がせ革命党員の制服着用させた。そして「ラ・マルセイエーズ」などの革命歌カトリック王室家族否定し冒涜する言葉わいせつな言葉教え込ませた。やがて教育虐待加わり具合悪くなるまで無理やり酒を飲ませたり、「ギロチンにかけて殺す」とまで脅す有様であったまた、シモンルイ17世自分使用人として給仕雑用を行わせた。暴力日常茶飯事となり、番兵たちも虐待を見るのを嫌がったというパリ・コミューン総会議事録の記載残されている。偶然シモン虐待目撃したパリ市通商取次人のルブーフは、自らの教師判事という立場から非人道的扱い告発する投獄され、後に命の危険を感じパリ・コミューン退職しパリ去ったシモンの妻マリージャンヌルイ17世身の回り世話をしたが、夫の行き過ぎた虐待やめさせることは出来なかった。ルイ17世暴力罵倒脅迫による精神的圧力によってすっかり臆病になり、かつての快活さ消え去ったこの頃スペイン外相イギリス外相タンプル塔潜入させていたスパイから、売春婦8歳ルイ17世強姦させ性病感染させたという知らせ受けていた。 さらに、マリー・アントワネット処刑持ち込みたいエベールとショーメットは、彼女が不利になる証拠作るため、シモンルイ17世自慰覚えさせた。母と叔母はそれを見て楽しみ、近親相姦事実があったという書類10月6日強制的に署名をさせる。翌日マリー・テレーズエリザベートそれぞれ別々にルイ17世部屋呼び出され尋問受けたが、ルイ17世はショーメットらのでっちあげた罪状事実であると繰り返した。そしてこの尋問ルイ17世家族の姿を見た最後となったマリー・アントワネット処刑後今度エリザベート処刑するための証拠作ろうとした。既にエベールらに洗脳されていたルイ17世は、かつて叔母が行っていた密書送り方などをあっさりと告白したこの頃ショーメットは、常にルイ17世過ごしているシモン王党派に買収されるではないか不安になり、シモン厳し監視下に置いた。この待遇面白くないシモンは、ルイ17世にさらに暴力振るうことで鬱憤晴らしたパリ・コミューンシモン圧力をかけ、1794年1月19日シモンルイ17世後見人辞職、妻とともにタンプル塔から去った次の後見人指名されなかった。 国内王党派外国君主からは正式なフランス国王みなされ政治的に利用されることを恐れたショーメットとエベール2月1日、元は家族食堂であった部屋ルイ17世押し込んだ厚さ10フィートもある壁にある窓には鎧戸鉄格子があり、ほとんど光は入らなかった。不潔な状況下にルイ17世を置き、貶めるために、室内にはあえてトイレ室内用便器は置かれなかった。そのため、ルイ17世部屋の床で用を足すことになり、タンプル塔で働く者はこの部屋清掃室内換気禁止された。また、本やおもちゃ与えられず、ろうそく使用着替え衣類差し入れ禁止された。この頃下痢慢性化していたが、治療行われなかった。食事1日2回、厚切りパンスープだけが監視窓の鉄格子からするりと入れられた。ルイ17世呼び鈴与えられたが、暴力罵倒恐れたため使うことはなかった。監禁から数週間差し入れで自ら体を洗い部屋清掃行っていたが、ルイ17世くる病になり、歩けなくなったその後不潔なぼろ服を着たまま、排泄物だらけの部屋の床やだらけのベッド一日中になっていた。室内ネズミ害虫いっぱいになっていた。深夜監視人交代の際に生存確認が行われ、食事差し入れられ鉄格子前に立つと「戻ってよし」と言われるまで「せむしの倅」「暴君息子」「カペーガキ」などと長々罵倒続けた番兵遅刻があった日は、同じ夜に何度もこの行為繰り返された。もはや彼に人間的な扱いをする者は誰も居なかった。 パリ・コミューン派閥争いにより、エベール支持者と共に3月24日処刑されその3週間後にショーメットも処刑された。5月11日ロベスピエールタンプル塔様子見学したその後7月28日ロベスピエールロベスピエール派だったかつてのルイ17世後見人シモン処刑された。

※この「恐怖政治下の監禁生活」の解説は、「ルイ17世」の解説の一部です。
「恐怖政治下の監禁生活」を含む「ルイ17世」の記事については、「ルイ17世」の概要を参照ください。

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