恐怖政治の実施
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:10 UTC 版)
9月5日以降、貧民の圧力を背景にしたエベール派の圧力で、後に恐怖政治と呼ばれる政策が実行された。それまで大した仕事してこなかった革命裁判所の人員が増強され、次々と反革命容疑者に死刑を宣告していった。9月29日に最高価格制が布告された。生活必需品の品目を定め最高価格を決定した。この布告で群衆が商店に押しかけ商店は空になった。10月の末になるとパンがなくなり、パリ・コミューンはパンの配給切符を実施し、他の都市も真似をした。品不足と食糧不足が起こった。10月4日に買い占め人を摘発するための法令が国民公会に提案され、買い占め人の家宅捜索と強制徴発を行い、即席裁判でギロチンにかけることが決まった。10月半ばにはさらに食糧不足が深刻になり「革命軍」を新しく編成し、農村を回って食料を徴発し、家宅捜索を行い、違反者を処刑して回った。これによって一時的には都市の食糧不足を和らげた。 国民公会と公安委員会は群衆の圧力に応じて恐怖政治を進めたが、同時に群衆を扇動した過激派の弾圧も続けた。食糧危機が一段落し人心が収まったのと、戦争が勝利に転じたことを背景に、過激派指導者たちは消えていった。
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