恐怖政治の効果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:10 UTC 版)
パリには多くの外国人銀行家が集まっていたが、これらが排除された結果、無制限な投機行為が抑えられ、アシニアの買いたたきや食糧調達が改善され、経済危機の緩和に役立った。革命政府の取った非常手段は、累進強制公債、金属貨幣の流通停止、アシニアの強制流通、証券取引の停止などだったが、これによって唯一の紙幣となったアシニアの価格が上昇に転じた。最高価格制と強制徴発、買い占め禁止、違反者の厳罰も効果があった。物価はこれを反映して安定し、下層民の生活は安定した。足下を安定させた国民公会と公安委員会は全力挙げて反革命軍と外敵との戦闘に向かった。またこの政策の結果、フランス軍では正規軍と義勇兵の区別がなくなり、貴族将校の後を平民将校が埋めた。彼らは能力もあり勇敢だったので兵士の信頼を集めた。暴利をむさぼった御用商人も粛正され軍隊の装備も良くなった。重工業がフル回転を始め武器弾薬が豊富に供給された。この結果列強を敗走させ、1793年の末までに革命政府は内外の危機から解放された。これらの政策で打撃を受けた者は外国の貿易会社、貿易商人、これと結びついていたフランス商人だった。一方利益を受けた者はフランスの工業家だった。革命政府は工業の振興に努力をし、軍需工業とその関連部門に資金を投入した。これは商業を犠牲にした工業の育成となった。また、このとき革命のスローガンが「自由・平等・友愛」に変わった。
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