廃止されたデルタ線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:26 UTC 版)
※ 路面電車は実例が多いため割愛。 官営幌内鉄道(現北海道旅客鉄道函館本線)札幌停車場(現札幌駅) 官営幌内鉄道(のち北海道旅客鉄道幌内線)幌内太駅(のち三笠駅) JR東海・名古屋鉄道伊奈駅 - 名鉄小坂井支線 - 小坂井駅 - 国鉄飯田線 - 平井信号場 - 名鉄名古屋本線 - 伊奈駅国鉄時代に名鉄小坂井支線存在時は伊奈駅から分岐して平井信号場、小坂井駅の両箇所で国鉄飯田線に接続し、両箇所とも国鉄線への乗り入れが行われていた。 1954年、小坂井支線廃止。現在は平井信号場のみが飯田線と名鉄名古屋本線との分岐として残る。 JR西日本(国鉄時代含む)城東貨物線・淀川貨物線巽信号場片町線鴫野駅方面・城東貨物線吹田駅方面・淀川貨物線淀川電車区(旧)方面に相互に行き来ができた。 関西本線久宝寺駅 - 平野駅 - おおさか東線正覚寺信号場(貨)梅田駅の廃止により、百済駅発着列車が増加するため、関西本線と城東貨物線の線路が分離された。このため現在は完全なデルタ線ではない。 関西本線久宝寺駅 - 天王寺駅 - 阪和線杉本町駅2004年(平成16年)の阪和貨物線の休止まで、デルタ線となっていた。103系電車のうち吹田総合車両所日根野支所の編成と同奈良支所の編成で向きが反対なのは、このデルタ線によるものである。 紀勢本線・和歌山線紀和駅 - 紀伊中ノ島駅 - 田井ノ瀬駅、田井ノ瀬駅 - 和歌山駅、和歌山駅 - 紀和駅1972年に紀和駅 - 紀伊中ノ島駅 - 田井ノ瀬駅間が休止し、2年後の1974年に廃止されたため、現在はデルタ線ではない。 山陽本線英賀保駅SL転向用のデルタ線が存在していた。 山陽本線岡山駅 - 宇野線大元駅 - 岡山操車場(現・岡山貨物ターミナル駅(貨物駅))1984年(昭和59年)に大元駅 - 岡山操車場間の連絡線が廃止。 山陽本線広島駅 - 向洋駅 - 宇品線南段原駅([貨]東広島駅構内?)宇品線のデルタ線が存在していた。 東海道本線京都駅 - 西大路駅 - 山陰本線丹波口駅(2016年2月28日廃止、嵯峨野線梅小路京都西駅建設に伴う) JR九州(国鉄時代含む)小倉裏線 足立軍用停車場 - 豊州本線 南篠崎聯絡所 - 紫川聯絡所 豊州本線 小倉駅 - 北篠崎聯絡所 - 大蔵線 板櫃聯絡所 鹿児島本線吉塚駅 - 香椎駅 - 勝田線志免駅香椎線と勝田線を接続し、デルタ線を形成していた。特急「かもめ」の折り返しで実際に使用した。 長崎本線肥前山口駅構内 - SLの方向転換を行っていた。 JR東日本宇都宮線(東北本線)小山駅宇都宮線間々田駅と水戸線小田林駅を小山駅ホームを通らずに短絡する連絡線が存在した。東北本線と常磐線を短絡する目的の貨物線として1950年8月23日に完成し同年12月15日から使用開始。 当短絡線を使用した初めての定期旅客列車は準急(のち急行)「つくばね」で、1962年10月1日から運行開始。 水戸線から東北本線上り線へは直接進入できるが、東北本線下り線から水戸線へ進入する際は運行頻度の高い上り線を横切る形となるため、東北本線上り線と下り線の間に700メートル程の待避可能な中線を設けた(短絡中線と呼ばれた)。 1980年代半ば以降はほとんど廃止状態となり、2006年(平成18年)にすべて撤去された。 外房線・東金線大網駅1972年の大網駅と外房線の移設後、元の外房線ルートが貨物用として引き続き使用されていた。1997年に廃止。 秋田駅1962年の空中写真で存在が確認できる。 友部駅1964年の空中写真で存在が確認できる。 秩父鉄道秩父駅 太平洋セメント工場引込線1988年(昭和63年)のSL列車「パレオエクスプレス」運転開始当初、三峰口駅(往路の終点・復路の起点)および広瀬川原車両基地(列車の留置場所)に転車台がなかったため、それぞれ日中および夜間に当引込線まで機関車を回送し方向転換を行っていた。 名古屋鉄道三河線知立駅海線・山線各方面から1959年に移転した知立駅への線路(新線)と、海線から移転前の知立駅(現・三河知立駅)へ直接向かう線路(旧線)がデルタ線を形成していた。現在の知立駅は開業当初から貨物業務を行っておらず、山線および本線東部(知立連絡線経由)からの貨物列車は引き続き旧線を利用して刈谷駅まで運転された。貨物輸送が廃止されたのは1984年だが、旧線はそれに先立つ1975年に撤去され、以降9年間の貨物運用は新線経由で知立駅をスイッチバックしていた。 阪急電鉄神戸線西宮北口駅神戸線と直角平面交差(ダイヤモンドクロッシング)する今津線との連絡線が、今津線の開業時は大阪方、神戸方の両方にあり、これをもってデルタ線を形成していた。京都線のP-6形電車の方向転換に使用されたことがある。神戸方連絡線が1960年頃に撤去されたため、現在はデルタ線にはなっていない。 宝塚線・箕面線石橋駅 大井川鐵道井川線井川駅 総括制御になる以前はホームと堂平方のトンネルを結ぶ短絡線が存在した。短編成の場合は機回し線を使わず、駅到着時にトンネルに一旦入り、バックでホームに据付けて降車扱いをしていた。 加藤の8 t機関車が牽引機の場合、川根長島発着の列車は下りは逆向きで運転されたが、井川発着の列車では向きを転換した。千頭駅では転車台を使用して向きを変えた。 江ノ島電鉄海岸線も走る江ノ島電鉄では、車体の塩害による腐食を防ぐためとして、1960年代半ばまでは極楽寺車庫構内にデルタ線が存在した。現存する107号と108号の保存車は、現役時のZパンタ位置を基準に考えると、方向が逆転しており、床下の機器類が反転した配置になっていた(ただし、現在の107号は、現役時と反対向きに設置されている上、Zパンタがポールに交換されているので、参考になりにくい)。現在も極楽寺工場事務棟と変電設備の付近に痕跡がわずかに残るが、車庫線の配置も変化しているため、明瞭な痕跡をたどれなくなっている。
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