実戦での使用経過とは? わかりやすく解説

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実戦での使用経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/24 06:57 UTC 版)

散開線」の記事における「実戦での使用経過」の解説

太平洋戦争において、日本海軍戦前の計画通り散開線配備による潜水艦運用法開戦冒頭から多用した1941年12月真珠湾攻撃で、日本海軍大部分潜水艦オアフ島真珠湾外に散開線ではなく扇型配置して湾口監視用いたが、第一潜水戦隊の4隻だけをハワイ諸島北方東西全長120海里のG散開線配備に就かせた。また、1942年1月引き続きハワイ監視任務に当っていた第二潜水戦隊は、アメリカ空母出現情報が入るたびに散開線形成と掃航を命じられ、そのほとんどの場合目標捕捉失敗したものの、1月12日伊6潜水艦僚艦6隻とともに掃航中に空母サラトガ」を撃破する戦果挙げた同じく1941年12月マレー沖海戦では、日本海軍潜水艦10隻がマレー半島東岸三重散開線から成る縦深配備取ってイギリス東洋艦隊出撃備えた。うち、伊65潜水艦イギリス艦隊発見し、その情報に基づき新たな散開線移動中の伊58潜水艦イギリス艦隊襲撃したが、命中しなかった。伊65潜・伊58潜のいずれもイギリス艦隊追跡したが見失い、両艦からの報告電文上級司令部に届かなかったこともあり、その後潜水艦部隊イギリス艦隊捉えることができずに終わった。縦深配備をとったことやイギリス側対潜警戒手薄だったことから一定の成果はあったものの、好条件下に多数潜水艦投じた割に効果乏しく散開線配備非効率さを示す事例とも言われる1942年6月ミッドウェー海戦において日本海軍は、出撃予想されるアメリカ艦隊捕捉するため、ミッドウェー島東方に甲散開線(4隻)・乙散開線(7隻)を展開する計画であった。しかし、旧式から成る第五潜水戦隊整備遅れたことや第2次K作戦のため潜水艦が引きぬかれたことにより、散開線到着が遅れ、所定期日配備間に合ったのは11隻中1隻のみであった黒島亀人連合艦隊参謀戦後海軍常識言えば西方散開隊形概成してから東進して所定散開線配備すべきところ、自身敵情判断誤りなどから実現しなかったと反省している。所定期日配備完了していれば、アメリカ艦隊発見できた可能性があったと考えられミッドウェー海戦における日本側の敗因一つ数えられる海戦後半には、日本艦隊追撃またはハワイ帰還する思われるアメリカ艦隊捕捉するため、14隻の潜水艦による全長400海里に及ぶ複数散開線構成されたが、全く会敵できなかった。 ガダルカナルの戦い巡っては、潜水艦兵力集中が行われ散開線での待機攻撃計画された。伊19潜水艦はK散開線空母ワスプ」などを撃沈破し、伊26潜水艦命じられ散開位置軽巡洋艦ジュノー」を撃沈している。この時期日本海軍潜水艦部隊は一応の戦果挙げていたが、連合艦隊司令部満足するものではなく戦史叢書潜水艦史』の執筆担当者である坂本金美はその原因散開線用法適切さ欠いたことに求めている。なお、伊19潜水艦戦果は、司令部から命じられ別の散開線への移動前に配備地点において得られたもので、司令部命令通り散開線移動実行されていればなかったものと見られるギルバート諸島の戦いにおいて日本海軍は、9隻の潜水艦ギルバート諸島周辺派遣し予想されるアメリカ艦隊動向合わせて次々と新たな散開線設定して水上移動配備変更させた。しかし、散開線外を単独行動中の伊175潜水艦護衛空母リスカム・ベイ」を撃沈しただけで、逆に潜水艦6隻を失った。なお、ギルバート諸島の戦いにおける戦訓をふまえ、1944年2月山崎重暉海軍潜水学校長は、厳格な指揮統制による従来散開線用法現状適合していないなどと批判する意見書配布したが、上級司令部からは統帥を乱す行為であるとして受け入れられなかった。 1944年6月マリアナ沖海戦の際にも、アメリカ海軍機動部隊出撃捉えるため、事前に多数散開線設定された。そのうち第七潜水戦隊所属する呂100潜水艦7隻は、5月22日頃までにニューアイルランド島北方北東から南西30海里間隔連なる散開線構成した。しかし、その行動アメリカ海軍察知されてしまい、バックレイ級護衛駆逐艦イングランド英語版)」などの対潜掃討部隊により、5月22日呂106潜水艦皮切りに5月30日までに5隻が撃沈された。アメリカ海軍は、対潜哨戒機日本潜水艦発信した無線方位測定日本軍目的からの理論的推理などにより、ナ散開線設定割り出したとされる日本側は5月23日通信状況から呂104潜水艦探知され可能性があると判断し実際に同日午前6時撃沈)、ナ散開線半分呂106潜水艦(すでに前日撃沈)・呂104潜水艦呂105潜水艦南東方向60海里のA散開線移動発令その後5月28日には全艦に100海里西方のB散開線移動発令するどしたが、全艦に撤収時期発令されたのは6月3日であった。なお、坂本金美当時呂41潜水艦長)は、ナ散開線計画知って警戒厳重な海域このような配備をすることは危険が大きいから、1隻でも敵に発見され兆候があれば大幅にバラバラ移動するよう第七潜水戦隊司令部進言していた。6月15日あ号作戦発動され決戦始まってからも、日本潜水艦多くマリアナ諸島東方三重設定され散開線急行するよう命じられたが、遠くマーシャル諸島ニューアイルランド島北方散開線配備付いていた艦が多く集結遅れたマリアナ沖海戦における日本潜水艦損害参加36隻中20喪失という甚大なもので、戦果全くなかったマリアナ沖海戦での敗北後日本海軍潜水艦運用改正し単純な散開ではなく散開戦術切り替えた1944年8月20日発令され捷号作戦における潜水艦部隊運用基本指針では、潜水艦部隊散開配備位置を幅のある長方形矩形)に設定した。そして、その長方形設定され散開配備位置をさらに細かな升目区切り個々潜水艦割り当てる方式取られた。台湾沖航空戦レイテ沖海戦沖縄戦においては、この長方形散開面が実際に使用された。

※この「実戦での使用経過」の解説は、「散開線」の解説の一部です。
「実戦での使用経過」を含む「散開線」の記事については、「散開線」の概要を参照ください。

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