実戦での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/12 08:41 UTC 版)
本車が経験した最初にして最大の実戦は、1973年の第四次中東戦争である。ソ連から軍事援助を受けていたエジプト・シリアの両国にはシルカと共に大量の本車が送り込まれた。特に、スエズ運河沿いのエジプト領内には、ソ連の首都モスクワ周辺に匹敵する濃密な防空網が形成された。サダト政権下のエジプトは、イスラエルに対し挑発的な演習で動員令を発動させたり、突然ソ連軍事顧問団を帰国させてソ連との不仲を思わせたりしてイスラエルを惑わせた。 そして、10月6日、エジプト・シリアの連合軍は突如イスラエルに侵攻した。エジプトが仕掛けたブラフに惑わされ、突然の開戦に驚いたイスラエル国防軍(IDF)だが、さすがに反応は早く、すぐさまイスラエル空軍のF-4 ファントムIIが反撃に向かった。彼らは、これまでの戦闘でS-75 ドヴィナーやS-125 ネヴァーなどのソ連製SAMに遭遇してきたが、それらはECMによるジャミングに弱く、それほど脅威とみなされていなかった。 しかし、スエズ運河に差し掛かったイスラエル空軍機は、新型のミサイルに既存のECMが通用しないことを知って慌てた。また、3M9には、ECM装置自体をロックオンする能力があったため、旧式のECMを作動させたイスラエル機に対しては特に正確に飛んで言ったという話もある。ミサイル群の迎撃を生き延びた者は、こうした場合とるべき唯一の行動、すなわち低空を飛ぶことでミサイルの迎撃を避けようとした。が、彼らを待っていたのはシルカが搭載する4連装23mm機関砲が発する猛烈な十字砲火であった。こうして、本車とシルカの防空コンプレックスにより、イスラエルは開戦初日に40機とも言われる膨大な数の航空機を喪失した。だが、新型ミサイルの登場に対するイスラエルの反応は早かった。彼らはアメリカの力も借りつつ、ECM装置の改修によって対抗しようと試みた。また、アメリカから大量のECMポッドが供与されると被撃墜率は低下した。一方、エジプト・シリア側もソ連技術団がシステムの改良を続け、いたちごっこの様相を呈した。そのため、イスラエルは友軍機に発射されるミサイルの航跡から防空陣地の場所を割り出し、直接攻撃することまでした。 戦闘終結までに本車は20機、いくつかの資料によれば40機程度の航空機を撃墜した。その撃墜率は大体2%程度と、決して目を見張るような数字ではない。これは、命中率が悪いと言うよりもミサイルを乱射した結果でもあり、ソ連の顧問は「機関銃のように撃ちまくる」と不満を述べている。とはいえ、本車はこの数字以上にイスラエルに対し脅威を与えた。誘導レーダーには連続波を使用していたが、これは、イスラエル機が搭載していたミサイル警報装置で探知できず、パイロットは目視によりミサイルを探さねばならなかった。ミサイルの機動性は向上したとはいえ戦闘機の機動にはおよばなかったが、ミサイルを避けるための機動で燃料は消費され、また、そうした機動を行えるように兵器の搭載量は制限された。また、イスラエル機を低空に追い込むことで、シルカなどの近距離防空兵器による撃墜をサポートした。 第四次中東戦争を通じ名を高めた本車は、その後も湾岸戦争・コソボ紛争などで使われた。この間にソ連は後継車を開発し、機動防空システムとしての主役はそれらに取って代わられたが、現在でも第三諸国を中心にごく少数が使用されている模様である。なお、本車が経験した最後の実戦は2003年のイラク戦争であり、共和国防衛隊などが使用した。
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実戦での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:23 UTC 版)
ベトナム戦争や第三次中東戦争・イラン・イラク戦争で使用されたが、光学照準のみの射撃管制、砲塔の旋回が遅かったことなどから、敵航空機に対して芳しい戦果は挙げられなかった。しかし、アフガニスタンやユーゴスラビアの内戦では地上目標に対して大きな戦果を挙げ、アフガニスタンではソ連軍撤退後も一部のゲリラ組織によって継続使用されていた。
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