委員会証言
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ジャクリーン・ケネディ(1964.6.5)大統領夫人(事件当時)第1発目の時―「左側を見ていてあの恐ろしい音が聞こえたのですが、夫は何も言わなかった。右側を見ると彼が訝しげな表情を顔に浮かべて左手が上がっていました。」 第2発目の時―「その瞬間頭蓋骨の破片が見えて、それが肌色をしててっぺんに小さなギザギザがあったことを覚えています。かすかに頭痛がしているような顔でした。私が憶えているのはそれだけです。それから私の膝に倒れて「彼らが夫を撃った。どうしょう」「ジャック愛しているわ」と叫んでいました。」 トランクに這い上がったことについて ―「全く何も覚えていません。」 ジョン・コナリー及びネリー・コナリー(1964.4.21)テキサス州知事夫妻午前中に非公式に初めてザプルーダーフィルムを見て―ネリー夫人:「私はジャッキーがトランクに這い上がろうとするところを信じられぬ思いで見ていた。彼女は何をしているのだろう?」 午後の宣誓証言で3発目の銃撃について―コナリー知事:「銃声がはっきりと聞こえ、それが彼(大統領)に命中する音も聞こえました。突然後部座席に血と人間の組織の破片で覆われた。自分のズボンの上に親指ほどの大きさの脳の組織の塊があった。私は「大変だ。やつらは我々を皆殺しにするつもりだ」と叫んだ。」 銃弾の数について―コナリー知事:「男は3発撃って、発射した3発とも命中している。かなり腕のいい射手だ。」 J・エドガー・フーバー(1964.5.14)FBI長官オズワルドのFBI情報提供者説について―「彼は何時如何なる場合でも、FBIの秘密情報提供者でも潜入捜査官でもなく、FBIに雇われていたことはない。情報源ですらなかった。しかし暗殺の時点まで彼がFBIの監視下に置いていたのは事実だ。」 事前にシークレットサービスにオズワルドがダラスにいることを警告しなかったことについて―「暗殺の時点までこの男が危害を及ぼす危険人物であることを示すものは何もなかった。脅威だとは思えなかったので警告する必要はなかった。FBIは何も重大な過ちは犯していない。」 陰謀の可能性について―「大統領暗殺に関する国外及び国内の陰謀を示す証拠はひとかけらも見つけることができませんでした。」 フーバー長官は暗殺事件の4日後にFBIの危険リストにオズワルドが載っていなかったことを知って「我々は仕事を最後までやり遂げなかった。これは我々全員の教訓としなければならない」と述べた。そして以後に上院司法委員会委員長ジェームズ・イーストランド上院議員から「オズワルドはFBIへの秘密情報提供者だった」と非難される立場に立たされることになった。 ジョン・マコーン(1964.5.14)CIA長官政府の工作員説について―「彼は工作員ではない。」 何か陰謀に関わっていたか―「証拠は持ち合わせていない。」 オズワルドのメキシコ行きについて―「9月に彼がメキシコへ旅行に行ったことについてCIAで徹底的に調査したが、メキシコで共犯者がいたことを示すものは何もなかった。」 「CIAは国家安全保障の上からジョンソン大統領とウォーレン委員会にその多くを隠していた」、と言われる。1963年11月22日の暗殺事件直後に、CIA内部で世界中のCIA支局に打電してどんな些細な情報も含めて情報収集に取りかかった。すぐにメキシコからの情報ファイルに前月の10月1日午前10:45にオズワルドと名乗る男がメキシコシティのソ連大使館に電話して申請した旅行ビザはどうなっているのか、と尋ねたことを記録したファイルが見つかった。オズワルドが逮捕されたという報道が流れてわずか2分後のことであった。メキシコと中米の秘密工作の責任者は、後に「その衝撃は言葉では言い表せない」と述べていた。そしてCIA内部の事件調査は混乱と猜疑のために挫折して、未だに消えない疑念の影を残すことになった。この11月22日当日深夜に興奮状態の中で会議が延々6時間続き、「オズワルドがメキシコのソ連大使館を訪ねていたことをCIAは前もって知っていた」ことを聞かされたマコーン長官は激怒した。 ロイ・ケラーマン(1964.3.9)シークレットサービス警護官、大統領の車に同乗。助手席にいた。なぜ銃撃後に後部座席に移って身を挺して守らなかったのか―「助手席で無線交信をしていて自分には何も出来なかった。」 ウイリアム・グリア(1964.3.9)シークレットサービス警護官、大統領の車に同乗。運転手。銃撃時の運転について―「1発目の銃声を聞いた時に、ブレーキを踏んで何が起きたか後ろを振り向きました。」 クリント・ヒル(1964.3.9)シークレットサービス警護官、狙撃直後に後ろの車から大統領の車のトランクに飛び乗った。狙撃直後のジャクリーンの動きについて―「座席から跳び上がって車の右後部バンパーから落ちた何かに手を伸ばしているように見えました。吹き飛ばされた夫の頭蓋骨の破片に手を伸ばしていたのだと思う。とっさに思ったのは大統領夫人を座席に押し戻すことでした。」 チャールズ・カリコ(1964.3.25)パークランド病院医師。病院到着時の大統領の状態について―「大統領の心臓は動いていました。医療的見地から私は彼がまだ生きていたと考えます。」 なぜ遺体の検査を行わなかったのか―「言い訳はしません。あの時は誰も検査する気になれなかった。」 ジェームズ・ヒュームズ(1964.3.16)ベセスダ海軍病院病理医。大統領に当たった1発目の銃弾について―「私は大統領の首下部を通り抜けた飛翔体が、実はコナリー知事の胸を通り抜けた可能性があると思います。」 コナリー知事の担架から見つかった銃弾(証拠物件CF#399)を見せて、この銃弾が両者を傷つけたかどうか―「それはきわめてありえないと思います。」 マリーナ・オズワルド(1964.2.3)オズワルドの妻。オスワルドのソ連観について―「彼は故郷を恋しく思っていて、ソ連に来たことを後悔していました。」 オズワルドのメキシコ訪問とキューバ行きについて―「彼はソ連に失望したが、もっと純粋な共産主義の形態をキューバに見出し、キューバに行きたがっていた。メキシコでソ連に行くためのピザを取得して、途中でキューバに留まるつもりでした。」 オズワルドの大統領暗殺について―「事前には知らなかった。彼からケネディの何か悪いことを聞いたことはありません。しかし暗殺当日にダラス市警で彼の顔を見た時に夫の有罪を確信した。目をみれば彼が有罪とわかりました。彼一人でやったと確信しています。」 オズワルドの大統領暗殺の動機について―「歴史に名を残すという考えに心奪われていたからだと思う。良いことであれ、悪いことであれ何か自分を目立たせることをやりたいと思っていたと思う。」 マーガリート・オズワルド(1964.2.10)オズワルドの母。オズワルドの犯行について―「マリーナとルース・ペイン(英語版)が息子を嵌めたと信じている。あの二人の女と警護官二人とが陰謀に加担している。」 陰謀についてどんな証拠があるのか説明を求められて―「無いです。私には証拠がないのです。」
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